![]() |
#2044/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (XGM38132) 95/ 2/18 0:52 ( 36) 雑感>RE:2043 詰まらない所を見ないか… by阿修羅 ★内容 全部が全部面白ければそれがいいに超した事は無いけど、そういうケースは滅多 にないですからねー。結局、自分にとって面白いと感じる部分と詰まらないと感じ る部分の比率が、前者の方が大きかった時に、それを全体として面白いと感じるん でしょう。ここでの部分って言うのは、作品のある一部、と言う事ではなくて、作 品の性格のある側面、という意味です。 ただ、 >□ 面白いと思えるような見方しかしません。 ですか? うーん、ちょっと解らないな。まぁ、多面的に見てそれを排他的に、ま たは有機的に楽しめる人ならば問題無いんでしょうけれど、作品世界と自分を一対 一の立場に置きたい僕の様な読み方の人間にとっては、なかなかそれは難しいです。 きっと僕には根本に、理屈で面白くても仕方無い、と言う考え方があるからなん でしょうね。直感で「理解」ではなく「感じ」たい方の人間ですから…。今の体系 だっている「るーみっくわーるど」ならば、僕には“ただの”ギャグ漫画と同じに さえなりかねない。「読ま」なきゃ感じられない、この「読む」と言う過程を「た だの処理」としてこなせない。そういう感じです。 こういう僕にとっては、面白いと思うところしか見ない、と言うのは、フィルタ ーかけてるだけの様に思える訳です。一対一である為には対等でなければならない。 そこで、相手のある部分を見ないなら、同時にそれと対等の位置を確保しようとす る自分までも、偽らなくてはならなくなる。 自分まで見失いたくないですからね。だから、全部を見る。そして、矛盾を消化 しきれない時は、諦めて、離れる。 あくまで作品は相手であって師ではなく自己でもない。自己中心、利己主義だと 言われるかも知れ無いけれど、如何ともし難いです。これを変えるには、いえ、ど う変えるのか、それさえ想像が付きません。 今のらんまに対して思っている事は、残念ながら今言った事と重なってます。 by 阿修羅 P.S. 端から対象を師と割り切っているなら別です。その場合は自分との矛盾に当たる のが目的ですからね。だから、僕はるーみっくわーるどに対して、いや、これは大 き過ぎる。つまり、らんまに対して、そう割り切る気はない、という事です。 ……所謂屁理屈って言うんだろうな、こーゆーのを。