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#2218/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (YUD09175) 95/ 6/ 6 1:42 ( 54) 感想>RE#2196 素朴な疑問 マッシャ・アッキーニ ★内容 《阿修羅さん》 「らんま1/2」に阿修羅さんの求めるものが欠けているというのは仕方のない ことだと思いますが、そういったことをなぜここで書かれるのかが分かりません。 「ポジティブに詠もうとしてる」(#2189)とあったので、他の人からの楽しみ方 指南を期待して書かれたのだろうと最初は思っていたのですが、雨宮さんのRES 以降の様子を伺う限りでは、どうやらそれを受け入れるつもりもないように見受け られます。また、同MSGでは「自分とは感覚がずれている、と納得しておくのが 無難」と自己完結していますが、ではそうした愚痴または独り言のようなものを開 陳することによって何を意図されたのでしょうか? まさか同意を求めていたわけ ではないと思いますが…。 >軽くて味が無い、と言うのが(33 巻まででの)後期に一貫して感じる事ですね、 >残念ながら。 (#2189) 私は重くて味がある、と思ってますが、阿修羅さんがこのように思っていようと、 それが「残念ながら」であろうと、はっきりいって知ったことではないです。この 作品のよさがなぜ分からん!…と憤ったり不愉快になることはありますが。 ……素朴な疑問はここまで。 「視点」の違いの話について。「うる星、めぞん、らんま前半」と「現在のらん ま」の両者において、それがどう違うのか、私には今一つ理解できないのですが、 操り人形の糸が見えるかそうでないかという違いのことを指しているのだとすれば、 これは単に技術的な問題に収斂され得るもので、 >高橋さんにとってらんまの、またうる星の世界の登場人物達の世界と世代は、もう >魅力が無くなっている、あるいは感覚の変化の為に、その視点に立っては描けなく >なっているのではないか、と思えるのです。 ということとは関係がないと思います。これは書き手の側だけの問題でなく、受け 手の側のことも考え併せる必要のある問題です。というのは、「感情移入にも技術 が必要」だからです(普段は無意識にやっていることですが)。 本来「物語観賞」において、主人公クラスに対する感情移入なんてものは技術的 に最も容易な部類に属するはずですが、それができないってことは、「らんま1/ 2」って普通じゃないのかもね(と韜晦してみたり…)。 だいたい、自分が作者になった場合のことを想定すると、視点をどこに置くのが (物語作法として)より簡単かはすぐに分かることです。 >自分が感情移入する事で作者に操られるのは構いませんが、その最中に「糸」が >見せられるのはね。これは嫌ですね。 う゛……、見えるのですか。それはそれで羨ましい…。 >まぁ、結論を先に言ってしまうと、歳をとられたんだなと感じていると言う事で >もあります。 いい意味で、私もそう思います。 P.S. 「畢竟(ひっきょう)」…「つまり」とか「結局」とかの文語的表現ですね。私は よく目にするので気にならないけど、日常会話で使うのはやめてほしい(^_^;)。 >心当たり マッシャ・アッキーニ