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#1229/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QEG72756) 93/11/27 1:27 ( 94) 雑感>時の流れに…。時計坂下見行 飛鳥 杏華 ★内容 1993年11月3日(祝)。かつての探訪から約6年ぶりに時計坂駅のモデル である西武池袋線東久留米駅を訪ねました。前夜、ギリギリになって告知をしたこ ともあって、参加者は私とR・田中一郎さんの二人だけ。池袋駅で9:30まで一 応待ち(邦さんとニアミスしていたようですが)、他に参加者がいないことを確認 して出発しました。 池袋から各駅停車で約30分。久々に降り立った駅のホームは、大して変わって はいませんでした。ところが、出口のある反対側のホームに渡る連絡橋に上がって びっくり! いままで、閑散としていた出口のない側の開発が急ピッチで進んでい たのです。 大きなマンションや駅ビル。そして、メインストリートに駅前広場。もう、かな り形ができあがっていました。ちょっと待ってくれと言いたくなるほど、東久留米 駅は変わろうとしていたのです。「これも6年という歳月のなせるわざか…。」 地元住民の方々には非常に喜ばしいことなのかもしれませんが、かつての「時計 坂駅」の面影が失われることに一抹の淋しさを感じずにはいられませんでした。恐 らく、これにともなって現在の駅舎もいずれ改築されるでしょう。 さて、駅を出てまず駅舎の観賞。現在の駅舎自体は6年前と変わってはいません でした。駅舎に向かって左手前にある縦2列のコインロッカーも、駅舎の右手の煙 突もそのままでした。しかし、周囲はやはり時の流を受けていました。 駅のとなりの立ち喰いそば屋「狭山そば」は健在でしたが、それを背にして立っ たとき、左手の角に見えた青果店はなくなり、洋品店に変わっていました。という より、そこの建物の外装自体(建物全部が建て替えられたかどうかは記憶が定かで ないが)全く変わっていました。 また、駅舎を背にしたとき、右手にある文具店「ジンドー」の扉の横にある公衆 電話(こずえちゃん初登場のとき、五代くんが使用していた電話)は健在でしたが、 その奥にもう1台。人が入っていけそうもないところに電話が置いてあったのは謎 でした。(笑) 6年前の記憶を頼りに、第7話「春のワサビ」で五代くんと響子さんが散歩した あたりのモデルではないかと思わたあたりに行ってみましたが、ここも新しい住宅 がどんどん建設されている最中で、あの静かな雰囲気は失われてしまいました。 さらに商店街を歩き、豆蔵などのモデルを探したりしましたが、祝日で閉まって いる店が多く、目的は果たせませんでした。ここで、またショックだったのが、茶 々丸風のスナック「緒暮路」がなくなって、駅前のビルの中に移ってしまっていた ことでした。やはり、時の流れなんでしょうか…。まあ、感傷にひたってばかりで はいけませんが…。 さて、前回の最大の収穫であった、踏切へとさしかかりました。ここで私は今回 の下見で最大のショックを受けたのです。時計坂駅のモデルが東久留米駅である最 大の根拠であった踏切の向こう側右手にあった書店(「ふりむいた惣一郎」でヤキ トリにつられて踏切を渡った惣一郎さんを賢太郎が追いかけているコマの右上に描 かれている書店)、黒目書房が生鮮市場に変わってしまっていたのです。もちろん、 建物は建て替えられていました。(T_T) せめてもの救いは、踏切そのものが変わっていなかったことと、「くぐるな あ ぶない」という立て看板が残っていたことでした。 そこから、線路沿いに清瀬方面へとしばらく歩くと黒目川という小さな川があり ました。その手前あたりの線路沿いの雰囲気は第8話「惣一郎の影」で五代くんが 家庭教師のバイトを終えて音無家から帰宅するシーンの線路ぎわにほぼ完璧に一致 していました。これは、今回の収穫でした。 さて、黒目川沿いはジョギングコースになっていまして、このあたりをブラブラ と散歩してみました。途中、SESAMEテニススクールなるものがありまして、 コーチが熱心に指導していましたが、これが時計坂テニスクラブのモデルかどうか は不明です。(比較的新しいように思われました。) また、この川沿いの道に崩壊した木造家屋の残骸がありまして、まさかこれが一 刻館…なんて、ちょっと凶悪過ぎますね。(笑) それから、この川沿いに氷川神 社が3つもあったのにも笑いを誘われてしまいました。 川沿いに線路をくぐって反対側(南側)へ抜けてしばらく行くと、大円寺という お寺があり、なかなか雰囲気がありました。さすがに、墓地にまでは立ち入ること ができなかったので、ここが惣一郎さんのお墓のモデルかどうかは確かめられませ んでした。(^_^;) まだまだ調べたいところはいろいろとあったのですが、そろそろ予定の時間が近 づき、川沿いの道から住宅街を抜けて駅へと戻ることになりました。が、ここでも う1つの収穫。小さなたい焼き屋さんを発見。1個70円という値段…。もしかし たら、海老屋さんのモデルかもしれない。数年前なら50円ぐらいだったかもしれ ませんしね。残念ながらお店にいたのは、おばあさんでなく、おじいさんでしたが …。(店の名前は看板が出てなかったので不明です。) また、この近所にはお好み焼き屋さんもありました。この近所がもしかしたら東 久留米時代のけもさんの住処だったのかもしれませんね。 こうして、祝日の午前中だけのささやかな時計坂下見OFFは終了したわけです が、まるで狙ったかのように時計坂=東久留米の根拠になったものが無くなってい たという感じがしました。別にそういうわけじゃないんでしょうが…。 今回の下見で、改めて思いました。これは、かつての面影が少しでも残っている うちに本OFFをやらないといけないなと。なかなか人が集まれる日を設定するの は難しいですが、来年年明け早々にもOFFを開きたいと考えています。(私自身 の都合が怪しいのですが…。(^_^;)) QEG72756 飛鳥 杏華