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#1321/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (CHM88424) 94/ 1/13 1: 8 ( 89) BD大会>BDは高橋作品?(長文スミマセ NIFTYより ★内容 【NIFTY-Serveより転載04】 >- FANPLN MES( 4):るーみっくわーるど(8)高橋留美子の部屋 - >00126/00126 PXH01472 にゃにゃ丸 BD大会>BDは高橋作品?(長文スミマセ >( 4) 94/01/08 03:57 ちょっと、わかりにくいタイトル(なにしろ、タイトルには字数制限がありま すから...(^^;))ですので、ここで改めて、この小論のタイトルを付けておきま す。 『 はたして、BDは"るーみっく・わーるど"という カテゴリーに含まれるべきかどうか 』 初めに、私の結論からいえば、次の通りです。すなわち、 BDはテーマや作風からみて、現在の『パトレイバー2』に至る一連の押井作 品の一つとみるべきであって、正確には、”るーみっく・わーるど”に含まれる べき作品ではない。しかし、あのような作品が1984年という時期に発表できた背 景には、『うる星』という極めて自由度の高い作品の存在というものが欠かせな かった、ということです。それでは、以下に理由を述べていきたいと思います... まず第一の理由として、BDと高橋作品は扱っているテーマが違うということ が挙げられます。 高橋作品のテーマを一言で言えば、『愛』ということだと思います。例えば、 『うる星』のテーマは、ラムとあたるのお互いの気持ちのさぐり合い(結局のと ころ、あたるがラムに自分の本当の気持ちを示さないから、彼らの鬼ごっこは永 遠に続くわけである...)というものがテーマですし、『めぞん一刻』に至って は、『愛』というテーマがストレートに表れています。また、『人魚シリーズ』 も"人魚の肉"という、薬であると同時に猛毒でもあるアイテムを使って、人がこ の限りある人生を送ることの意味を問いかけています。 それに対して、BDのテーマは、『夢(虚構)と現実の違いはどこにあるの か?』ということでしょう。それは、夢邪鬼という存在に端的に表れているとい えるでしょう。 例えば、あの作品において、『夢邪鬼が夢の主体としてラムを選んだ理由』と いうものに、なんら必然性がないことに注意してみてください。あの荒廃した友 引町は、見ている私達にとっては、何だか楽しそうな場所ではありますが、あの ような荒涼とした世界が、脳天気なラムの精神風景のひとつだとは、とても思え ません。(大体、『うる星』が好きな皆さんは、ラムのあっけらかんとしていて、 とても無邪気な性格に惚れているんじゃないでしょうか?) すなわち、あの楽しいサバイバル生活が送れる場である『荒廃した友引町』は 夢邪鬼=押井監督の世界なのです。初めからあの世界は『夢邪鬼の望む世界』な のですから、夢の主体は別に誰でもよいわけです。ラムはたまたま主人公(こう 言ってもいいんじゃないですか。うるさい人は、主人公はあたるだっていうかも しれませんが(^^;))だったから、夢の主体としての役割が振り分けられただけ だと思います。もしかしたら、夢の主体はあたるだったかもしれないし、ことに よるとメガネの可能性もあったわけです... ここで整理すれば、高橋作品のテーマは"heart"(こころ)で感じるものであ り、BDのテーマは"mind"(あたま)で考えるものでありましょう。この両者は、 根本的に違うものでしょう。 他にも、次のような理由も挙げられます。 高橋留美子作品の特徴に、登場人物の悪意(malice)のなさがあります。高橋作 品には様々なキャラクターが登場します。彼らはみんな個性的で、しばしば毒の ある性格をもっているのですが、それでも、彼らの中に本当の悪党はいないとい う特徴があります。すなわち、高橋作品のキャラクターからは、人生をドス黒く 染めるに必要な悪意といった要素は注意深く除かれていることになります。 その点に関しては、BDにおいて、あたる自身がこう言っていたはずです。 『しかし、しのぶと竜ちゃんを消したのはどうもなあ...あいつはそんなこと をする女じゃない。長年、連れ添ってきたおれにはよくわかる。』 しかし、問題は別のところにあります。はたして、嫉妬を感じる相手を夢の中 で消去する事さえ考えにくいような女性が、町中すべての人たちを消してしまう ようなことをするでしょうか?彼らにも、建て売り住宅の窓辺でピアノを弾いて 楽しむような、ささやかな生活というものがあるのですから、ラムにとってはま ったく考えられない行為でしょう。 したがって、ラムの願望をかなえるべく、町中すべての人を消去する『夢邪 鬼』というキャラクターには、高橋作品では考えられないほどの悪意が込められ ていることになります。 以上が、BDという作品を『うる星』のひとつとして考えるときに、私の頭で 引っかかっている点であります。しかし、1984年という時点で、P.K.ディックに も通じるようなハードSFアニメを制作できた背景には、『うる星』という作品 のもつ懐の深さが欠かせなかったと思います。すなわち、BDは押井守という独 特の個性を持った監督を世間に認知させたという点でアニメ史上、あるいは映画 史上のエポック・メーキングとなったといえるでしょう。 p.s.ここまで読んでくださった方々に感謝いたします。感想・批評・批判なり をいただけたら、うれしく思います... from にゃにゃ丸(PXH01472:NIFTY-Serve) p.p.s.僕個人としては、BDは大好きな作品ですから、そこんとこはお間違え なく。(^_^;)ゞ