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#1335/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (CHM88424) 94/ 1/14 1: 9 ( 62) BD大会>BD大会参加します NIFTYより ★内容 【NIFTY-Serveより転載14】 >- FANPLN MES( 4):るーみっくわーるど(8)高橋留美子の部屋 - >00175/00178 GEC01437 夏のこたつ BD大会参加します >( 4) 94/01/13 01:45 懐かしすぎるBD、これだけ話題が盛り上がっているのに書かない訳にはいきません。 自分なりにうる星に関して思った事を、BDを中心にして書く形になります。 VANへの転載、よろしくお願いします。 まず、最初に言っておきますけど、私も本来の意味でこれはるーみっくから外れた 世界だと思います。このあたりの考えはにゃにゃ丸さんとほとんど同じですから 省略します。そして、アニメにおいてのうる星の欠点は、この映画においても 備えているように感じられます。しかし、そうした様々な理由は実際どうでも良く、 これは名作の列に並ぶべき映画だと思います。 後思う事なのですが、本来この映画は既に「批評」なり、それに類する行為を 受け付けないという本質を備えているように思います。この作品を見た人で、 映画としてどういう作品か、と客観的に考えられる人が現在どれだけいるでしょうか? 例えば映画なら、「風と共に去りぬ」を良い映画と思うか、と聞くに等しい。あるいは ベートーヴェンという作曲家をどう思うか、ピカソという画家をどう思うか、そう聞く のに似ています。それは権威が確立したと言うだけの意味ではなく、その作品自体が 自分の足で立てるだけの本質を備えていると言う意味でもあります。BDについて 誰かが語ろうとする時、作品について客観的に考えようという方向を保つのは著しく 困難であるようにも思います。 私は、この作品が成功した一つの理由〜というよりその個性に、まさにこのように 議論等で話題が沸騰する事があると思います。本編で登場するいくつかのセリフは 実際映画が制作される過程では、それほど深い意味を持たせたわけではなかったのかも 知れません。しかしそれを(というよりそれを道具として)様々な想像なりインスピ レーションが受け手の側に生まれる、それが映画の一部として、個々人が足りない 部分を無意識のうちに補っているとは言えないでしょうか? 言い替えれば、BDの中にあるいくつかのシーンやセリフは、ミロのヴィーナスの 「失われた両腕」とでも表現できるかも知れません。 作品としては、押井氏の個性の一環なのか、彼はうる星本来の感性にそれほどマッチ していたとは思っていません。ディーン前期のTTVシリーズの方が、良い部分は あるようにも思ってます。いくつか例を挙げます。 オンリー・ユーはみなさん単純に楽しめる作品だと思われている方が多く、私もそう 思いますが、最初に見た時ひっかかる所がありました。あたるのラムに対する態度が どうにも納得がいかなかったのです。後にウェット方面に振られた弊害が露呈すると 言われたうる星であっても、ちょっと後味が悪かった。あたるにしても結局は、エルが とんでもない女だと知って手のひらを返したという感じで最初は構成を含めて違和感を 感じた物です。TVシリーズでも、こういう瞬間はいくつかありました。「虫歯ウォー ズ」の回ですが、あそこまでやると気分悪いです。原作だとあっさりドタバタで済む ような話も、妙に生々しさが加わって不快感が感じられる事がありますが、これはその 代表。キャラで言えば、1番被害に会ったのはしのぶでしょう。確かに君去りし後や シンデレラストーリーのように、魅力が拡大されて表現された回もあります。しかし 外れると悲惨、この虫歯の回などそうでしょう。ちなみに原作者のけも先生が平井氏 との対談で、ミス友引コンテストの「踏み絵」に怒っている様子が単行本に収録されて いましたが、これは私も同感です。例えば現代音楽等がしばしば無機的な響きを出す のと同質のものと言えるでしょう。 BDもこういううる星の一環として、かなりるーみっくの本質に相容れない部分を 持っています。あの荒涼たる風景は、一見見逃してしまいがちですが、一端目を止め ると怖くなります。耽美的とでもいうような美しさですよね。この映画においては 世紀末芸術的な感覚的な美しさが作品の冷え冷えとした本質を凌いでいる瞬間が いくつもあるように思います。中には嫌なのもありますよ。「第3帝国」には非常な 反発を感じましたしね。でも、この映画には、自分の中に眠っている未知の感情を 引っ張りだして自覚させる、そういう力があるように思います。 夏のこたつ