#1359/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (CHM88424) 94/ 1/20 1:58 ( 38)
BD大会>RE#1336 RE:BDのテーマ NIFTYより
★内容
【NIFTY-Serveより転載23】
>- FANPLN MES( 4):るーみっくわーるど(8)高橋留美子の部屋 -
>00206/00217 GGB03473 SYO RE:BD大会>BDのテーマ
>( 4) 94/01/19 04:28 00176へのコメント
前回「BDのテーマは愛」と恥ずかしげもなく書いて、これはまぎれもなく「う
る星」の映画だと書きましたが、それはそれとまったく反対の事も否定できない事
を告白します。始めに書くべきだったかもわかりませんが、どこにどういうふうに
書こうかと思っているうちにここまで来てしまいました。で、迷惑かけないように
自分にレスします(^^;。
前のと逆とは言っても、「夢と現実」「夢からの脱出」とならないところが、や
はりひねくれているのでしょうか(^^;。
BDにおいて「夢」とされているもの、特に文化祭前日は僕には「うる星の世界
」そのものに思えます。そう、Kimさんの書かれたとおり夢邪鬼登場の前と後で
何も変っていないのです。普通に観るには不思議に思わない「進級しないわけ」「
」「毎回事件が起こってもおおむね全体に影響がなく、次の回には何事もなかった
かのように新しい回を繰り返す訳」にあえて理由をつけた世界と言えると思えます。
それはサザエさんがいつまでも年を取らないのにも使えます。「夢の世界だから」。
あれが夢の世界でなく、夢の形を借りた「うる星」の世界であるなら、そこから
の脱出は当然ながら「引退」です。そして「夢邪鬼=押井 守」というのも真実味
があります。夢を作り続けて、ラムの夢を作り、その夢も壊れて去っていくのです
から。
「好きな人を好きでいるためにその人から自由でいたい」監督が飛び降りて呼ん
だものは何だったのでしょう。
こう考えると、この映画は夢ではなく「うる星」との決別のみに作られた映画と
もとれます。「うる星による、うる星の否定」と取られても仕方ないかも知れませ
ん。
しかし、自分としては「うる星」をもっとも愛する人が作った映画だと信じてい
ます(^^)。
SYO (GGB03473)