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#1376/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 94/ 1/24 23:54 ( 60) BD大会>BDの構造 SAMWYN ★内容 ☆はじめに BDは、あたかも陰陽太極図のような、あるいは巨大な蝶結びのリボンのよ うなねじれたシンメトリック構造を持っていることに(前回の「季節の意味」 で)ようやく気づきました(^^;。そこで、今回はその構造からBDの真のテー マを探って見たいと思います(^^)。 ☆各対応 BDには、ほぼすべてに表と裏のような対応が存在しているようです。以下 は、今のところ私が気づいた対応です。 オープニング(最初のチャイムが鳴るまで) エンディング(ラムが目覚めるチャイムからタイトルまで) 前半部(変わる階数、友引高校が謎の中心) 後半部(変わる季節、あたるの家が謎の中心) 文化祭(前半部) 夏休み(後半部) このうち、オープニングは後半部と、エンディングは前半部と呼応し合って います。また、「水」は前半部途中から少しずつ増え始め、後半部では校舎を 飲み込んで湖のようになっています。前半部は文化祭の情景であり、キーワー ドは「校舎」、後半部は夏休み的情景であり、キーワードは「水」です。そし てこの2つのねじれの中心を貫くように、「白い帽子の少女」のシーンが入り ます。 ☆夢2つ 文化祭、夏休み−−−どちらも、押井監督が「楽しい夢のひととき」と感じ ておられたものですね(^^)。文化祭は創造的な夢、夏休みは開放的な夢のひと ときと言えます。 ところが、BDの中では後者が前者を飲み込んでしまいます。それでオープ ニングではあたるは(おそらく、このあたるは押井監督ご自身でもあると思わ れます)崩壊した校舎を前にほうけるばかりなのです。 そこで、あたるは「ここには本当のラムがいない」と、その夢を打ち壊して もとの文化祭前夜へ戻ろうとします。それを助けたのが「白い帽子の少女」で した。 そうして、ようやく帰還を果たしたあたるは、ラムへの愛情を今まで以上に 素直に表現出来るようになります。ところが、ここで押井監督は強い疑問を観 客へと問いかけます。「これと、私が否定した先の夢とどこが違うのか」と。 そう、今度は「ここには本当のあたるがいない」のです。 この2つの夢は互いのしっぽに噛みつく2匹の蛇のように、永遠に終わるこ とのない「誤解」の輪を回すだけであって、それらによる限り、「本当のうる 星やつら」を理解することは出来ない、その「誤解」を解いてくれない限り、 私は本当のうる星やつらを描くことが出来ない−−−この構造から、私は押井 監督のそのような悲痛な叫びを聴き取りました。 ☆終わりに−−白い帽子の少女 白、少女−−−それらのイメージを合わせ持つ彼女は、「永遠に清らかなる もの」、「透明で汚れを知らぬもの」です。これは実はアニマではなく、セル フにあたる存在です。少女のような少年、少年のような少女(それがもっとも 代表的なセルフのイメージです)、彼女があたるを「多重夢」の悪夢から助け 出しました。そしてその直前、初めて彼女は自分がラムであることを明かしま す。そしてまた、これこそが押井監督の見抜かれた本当のうる星やつらでもあ る−−−時にはお色気に傾き、時には愛に傾きながら、その本質はあくまで純 粋、その「純粋さ」があるからこそ、うる星やつらは絶妙のバランスで永遠の 夢を紡ぐことが出来る−−−、だからBDではあれほどまでにラムが輝いてい たのだ、と、最後にそう私は思ったのでした(^^)。 SAMWYN