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#1459/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QEG72756) 94/ 2/15 7:13 ( 72) 考察>RE#1441 論争のススメ(笑) 飛鳥 杏華 ★内容 ☆阿修羅さん 作者の意図も、一旦、作者の手を離れれば、無数に存在する解釈の一つに過ぎな い…。 恐らく、これについて疑問を感じるのは阿修羅さんだけでないと思います。作者 の意図こそ絶対じゃないかって…。私も以前はそう思っていました。それが普通の 考え方だと…。 確かに、作者が作品を執筆し、その作品が未だ発表されず、作者の手にある時点 では、作者の解釈、意図というのは絶対のものであろうと思います。しかし、これ が一旦発表され、読者の手に渡れば、その作品に対する解釈は、それこそ無数に生 まれてくるものです。 どう考えても、たった1つの読み方しかできない作品なんて、あったとしたら薄 っぺらな感じになってしまうでしょうね。逆に奥の深い作品であれば、それこそ様 々な読み方が可能になってくると思うのです。 もちろん、作者が意図したものは、正しい解釈の一つでしょう。阿修羅さんが言 うとおり、「解釈する上での一つの基準」になるものでしょう。(それが明らかに されればの話ですが…。) 私もそう考えていますよ。ただ、あくまで「一つの」 に過ぎないということを私は言いたかったんです。 例えば、特に長期連載作品になると、その長い期間の中で、作者が意識していな かったような不思議な法則性が生まれて、それを拾い集めて検証して行くと、作者 の意図していなかった解釈が正しいものとして成立することもあるのです。 これを、作者の意図に反する、あるいは作者が意図したものでないから正しくな いと頭ごなしに否定してしまうのは、逆に正しいものの見方ではないと思うのです。 その法則性が検証の結果、証明できたなら、それはそれで正しい解釈の一つになり うると考えているのです。 ここに、私が作品を考察する理由があるわけです。もし、単一な答えしかなかっ たら、考察する意味なんてあんまりないですよ。作者に聞いてみれば、それで終わ りになってしまう。(^_^;) 作者が秘かに作品に込めているものを見い出したり、 作者さえもが気づいていなかった法則性を立証することに私は興味を感じているん です。 記号論はそういうものを立証するのには適していると言えるでしょう。前回の文 章で、ちょっと誤解があったかもしれないので、補足しておきますが、個々の読解 法にいい悪いは特にないと思います。要は「どのやり方が自分に合っているか?」 「どのやり方が得意か?」ってことです。だから、私は記号論が得意で、私がやろ うとしている目的からすると、記号論が最も適しているなと…。 また、るーみっく作品というのは、そういう奥深さを内在し、考察する者に対し て数々の題材を提供してくれる優れた作品だと考えています。 パソコン通信というメディアでは、文字だけがコミュニケーションの媒体です。 予め自分のスタンスを理解しておいてもらわないと、宇宙人かと思われかねないし (結構、極端な論も展開しますので)、実際、記号論という論法にピンときていな かったようなので、前回のMSGでとりあえず自分のスタンスを書いてみたという わけです。 私が「論をぶつけ合おう」と言っているのは、何も相手を言い負かして勝ち負け を決めようということでないことはわかっていただけますね。自分だけで考えてい ると、なかなか新しい発見には出会えません。が、他人とコミュニケーションする と、いままで見えなかったものがふと見えたりすることがあるんです。 最近はコードがついてるせいか(?)、行動範囲が狭くなってしまったコウ一郎 さん(笑)と以前はよく、電話で2〜3時間ぐらいるーみっく論を交わしたもので した。このときに気づいたものが、私の論の中にはいくつもあります。 こうした新しい発見、新たな解釈との出会いのために、論をぶつけていきましょ うよ。相手の論も尊重する。でも、自分の論だって主張する。相手の論に正統性が 認められれば、それを取り込むのもよし。そうやって、自分の読解力を磨いて行き たいと考えているんです。 もちろん、阿修羅さん、SAMWYNさんだけでなく、より多くの方々と…。 QEG72756 飛鳥 杏華