![]() |
#1529/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QEG72756) 94/ 3/14 23:29 (131) 考察>RE#1527 「浪漫の商人」と「鉢の中」 飛鳥 杏華 ★内容 ☆阿修羅さん おいおい。(^_^;) シスター・アンジェラはシートヘアーでっせ! それも思い っきりショートカットで、あかねちゃんよりちょっと短いんじゃないかな? 「十 字をきった小羊」、読んでなかったんでしょうか?(単行本にも入ってるのに…。 (^_^;)) まあ、これが出るまでは、「シスターだから、やっぱり坊主なんだろーか?」な んて同人ギャグもありましたけどね。(笑) 髪の長さについての突っ込みは置いといて、「浪漫の商人」と「鉢の中」につい て、私の思ってるところをちょっと書かせていただきますね。 「浪漫の商人」 まず、「浪漫の商人」ですが、うーむ、阿修羅さんには悲しい話と感じられたわ けですね。私は、むしろ心温まるものを感じて、希望が湧いてくる作品に感じたん ですが、同じ作品でも人によって随分と見方が変わってくるものだと、いまさらな がら感じさせらせますね。 「浪漫の商人」は、「うる星」「めぞん」の二大連載と「らんま」の間のちょう どブランク期間に描かれたもので、それゆえに意味深なものを感じる作品です。私 は、この作品の時期的位置づけから、ヒロインの縁が離婚して間もないというシチ ュエーションは二大連載に別れを告げて間もない高橋留美子を表す記号と読みまし た。 次回作に悩んだ末、一旦はもとの鞘(過去のパターン)に戻れば安定した人気が 得られるのではないかと心が揺らいだものの、結局はゼロからの再出発を選択し、 新たな作品に対する意欲を示してみせた作品なんじゃないかと思うのです。 周囲の無愛想だけど心の温かい人たちに支えられ、二大連載という過去の遺産と 別れてゼロからの再出発を誓うけもさんの姿がそこに見えるような気がして、心が ほのぼのとして、希望が湧いてくるような、そんな感じがしたんですが…。 この辺の詳しい考察については、私の考察「らんま完結!」第1回、#1134、 #1135を読んでいただいた方がよくわかると思います。 ですから、「髪が短い=悲しい」というイメージは、私は持っていないわけなん ですが…。(^_^;) 「鉢の中」 さて、問題なのは「鉢の中」ですね。こいつは辛辣ですよ。(^_^;) 「悲しい」 というよりは、「暗い」「優鬱」というイメージを持っています。けもさんの場合、 「るーみっくわーるど1」に収録された作品や人魚シリーズのようなシリアスなも のも持ち味のひとつになっているわけですが、この「鉢の中」は、それらとも違う 何とも「やりきれなさ」のようなものを感じるんです。 この作品は、1988年の5月、ビッグコミック・オリジナルの創刊400号記 念企画として描かれた作品です。が、ハッキリ言って、記念作品としては、およそ ふさわしくないような「暗さ」です。何で、お祝い企画にこんな暗い作品を描いた のか、私としても当時から不思議に思っていました。 それが、「らんま」における読者批判の存在が見えるようになってから、改めて この作品の時期的位置づけを見て、「あ゛っ」と驚いたんです。 オリジナルのこの号の発売は、ゴールデンウィークの頃です。まったくこの同時 期に「らんま」に五寸釘が登場しているんですよ。「らんま」の中で「暗さ」「陰 湿さ」を一手に背負ったようなキャラ、五寸釘が乱馬の弱点を探りにやって来て、 あの猫拳を発動させるんです。この時期が一致しているっていうことは、実はすご く恐いんですね。(^_^;) 猫拳の発動は、前回のMSGでも書いたように、乱馬(けもさん)が猫(恩知ら ずな批判読者)に追いつめられた末、自ら猫化して(恩知らずな批判作家と化して) 反撃に出たという図式としてとらえることができます。 すでに批判読者の属性は、登場時の良牙に描き込まれ、あかねの断髪をもって作 品の流れが変えられたことを示唆してはいましたが、ハッキリと反撃というかたち で表されたこの猫拳は、けもさんの側からの宣戦布告であったと言えるのではない でしょうか? この猫拳発動の直前に描かれた「鉢の中」という作品が、ただ暗く優鬱なだけの 作品ではないことは、この時期的位置づけを見ても容易に想像できます。 さて、阿修羅さんはこの作品のヒロインを利根川さんの隣りに住む主婦A子さん (仮名)と見たわけですね。確かに、ストーリーは彼女を中心に進行しますが、私 としては、このA子さん(仮名)はむしろ一般読者の視点を代表する狂言回し的な 存在で、本当の主人公は利根川さんの奥さんだと見ました。そして、この利根川さ んの奥さんこそ、けもさんだと…。 この作品の中で重要なのは、後半の利根川さんの奥さんによって語られている真 相の部分です。利根川さんの奥さんをけもさん、その義母を批判読者と置き換えて みると、その辛辣な構図があらわになってきます。「あの人(けもさん)、食事 (面白い漫画)作れないし。」などと外であることないこと言いふらす義母(批判 読者)に対して、利根川さんの奥さん(けもさん)はついに、 「もう、言葉が通じない− …と思いました。」 というところまで達してしまうわけです。この台詞は、この作品の中で最も重い台 詞です。これと、「らんま」における猫拳発動のタイミングが時期的につながって いるということは、実に恐ろしい事実だとは思いませんか? もう、言葉が通じな い。だから、私も批判の反撃に出る!… この時期的一致を見て、私は初めて「鉢の中」に潜む「やりきれなさ」の正体を 見たような気がしました。 最後に、利根川さんの奥さんは笑ってみせるわけですが、「笑ってみせた」だけ であって、心から笑えたわけじゃなかったのだと思います。(この辺は、一刻会発 行「そると4号」掲載、古屋一雄さんの「鉢の中から」からの受け売りでもありま すが…。(^_^;)) けもさんとしても、読者の批判は自分のためにしてくれてるんだと、いい方向に 考えるよう努力しようとしたのかもしれません。しかし、やっぱり心の底からは笑 えなかったのではないでしょうか? けもさんにとっては、「鉢の中」ならぬ「蜂 の中」だったのかもしれません。 チクチクと容赦なく刺す批判読者という蜂の大群の中に放り込まれたようなけも さんのシチュエーションは、猫拳の修行のため、飢えた猫の群れの中にチクワを巻 き付けられて放り込まれた幼い日の乱馬に、そのまま投影されているとは思いませ んか? やがて、まさにその「猫」に変身する体質を背負って、珊璞が可崘を引き連れて 戻り、その珊璞を追って沐絲がやってくる。そして、爆砕点穴、格闘茶道、格闘出 前レースを経て八宝斉の登場…と連なって行くわけですが、この年の10月、けも さんはついにダウンします。 病名は「虫垂炎」(盲腸)…。たかが、盲腸と言うかもしれませんが、その発生 原因のひとつに「ストレス」があることに注目しなければなりません。果して本当 にストレスが原因で盲腸になったのかどうかはわかりませんが、それほどの批判に さらされていたとすれば、ストレスがたまっていたのは事実でしょう。 私は、この図式に気づくまで、この「鉢の中」という作品が、いまいち好きにな れませんでした。今でも、そういう意味において「好き」にはなれないんですが、 非常に意味深い作品であり、「らんま」における読者批判を語って行く上で、重要 な作品だなと、現在ではかなり評価するに至っています。 QEG72756 飛鳥 杏華