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#1533/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (XGM38132) 94/ 3/17 15:12 ( 96) 考察ら>RE #1529&others 読者批判の有無と良否 by阿修羅 ★内容 さて、RESを書かなくては。と、思うのですが、うーむ、何から手をつけていい のか、何からどう言えばいいのか、見当もつかない(;)。 いきなり何でこんなに詰まっとるのかと言うと、らんま1/2における作者の読者批判 と言うものが存在するという説を、SIGるーみっくわーるどへ来て初めて知ったか らなんです。 ま、うだうだ考えててもしょうがない。あっさり感想を書きます。 飛鳥さんの説、#1134、#1135も含めて、僕がここに来てからの物は大体読ませて頂き ました。そこで思ったのは、「(僕には)ほとんど非の打ち所が無い」、ということ でした。 まずはっきり言ってしまえば、僕はらんま1/2における読者批判存在説を、あまり信 用していませんでした。しかし、飛鳥さんの説を読んでいるうちに、その存在が否定 できなくなってしまった(かも知れない)んです。 作家による読者批判。これ自体は意外とよく聞きます。ところが、それが内包され ているかも知れないところのらんま1/2は、ぱっと見た感じではそれを目的として書か れている様には見えません。従って、読者批判の要素を汲み取るのは容易ではありま せん。 ここで少し視点を変えます。作品に作者の心理状態が影響し、たとえ内容がそれと は無関係で、作者が意図的に投射していないとしても、それが作品に投影されること があるのか、と言えば、有るも無いも、無い作品は無いと言って過言ではない。と言 うより、無かったらそれは薄っぺらな物であると思います。 そういう視点から見て、らんま1/2に批判読者批判の要素が投影されていても、不思 議な事ではないと思います。ラム熱と先のインタビュー記事のことから言っても、有 り得ない事では無いです。が、(僕にとって)問題はそれが意図されたのかそうでな いかという事なんです。 そこで、 第一の思い。飛鳥さん(や他の読者批判説保持者)の指摘された事が全て当てはま るとしたら、作者の心理の作品への無意識的投射にしては、きれいに当てはまりすぎ る。つまり、意識的に投射したと考えられる。 第二の思い。作中に意図的に投射したとして、それを行なえば物語としての作品に はどうしても歪が生じる。巧く裏側に、とは言っても、それはあくまで「うまく」な のだ。完全に消したら意味が無い。当然批判を汲み取れないまでも、引っかかるもの を感じる読者、つまり、読者批判の存在のために引っかかったのだが、その為だと気 付かずに、批判読者でないのに、作品に馴染めない読者が出て来るはずだ。高橋留美 子は、このことが分かっていながら(分かってないなんて事はないよなぁ(^^;))、あ えて投射を断行する作家であるのか。(もしかして完全に消しているつもりが見つか ってしまったのだろうか。) この二つの思いが、どうしても互いにゆずらないんです。 あと、(僕の内部で)確率として少ないけれど、意図していなかったが、無意識に 抱いていた批判読者批判が剰りに強かったので、半有形のものとして作品に出てしま った、という事も考えられなくはないです。僕としてはまだこれの方が幾分いいので すが……(;)。これを入れれば、僕は三つの思いが相いれない状態にあります(;)。 読者批判。もし意図的にやっているなら、好ましい事ではないと僕は思います。確 かに、それを意図的なものと考え(まあ、そうでなくても)、発見するのは実に興味 深い。僕は個人的にもそういう事をとても面白いと感じます。が、それ以上に、物語 としての作品を読むのが好きです。読者批判を内包させると、巧く隠しても、どこか に歪が出るんですね。それで、批判読者の為にいらぬ被害を被ったと、こう思えるん です。以前に僕は「物語としての作品を読む時に、読者が登場人物の像以上にその技 巧的意味を感じてしまっては、その登場人物に対してまたは作品に対して施されたそ れは、技巧に走り過ぎた上で起きた誤算なのでは」、という様な事を言いました。こ の見方も、僕が物語として読む方が好きだから、なんだろうかと思いました。 らんま1/2を物語として読むか作者からのMSGとして読むか、もっと言えば、作者 が物語として描いているのかMSGとして描いているのか、こればっかりは作者に直 接聞くしか、手は無いですね。 バカな読者達を手玉に取って遊んでいるのか、不神経な読者達に追い詰められてや ってしまったのか…。高橋留美子さんなら前者であって欲しい。めぞんファンとして は、ひどい話だが、後者であって欲しい。そして後者なら、その批判読者とやらに、 目を醒ませと、言いたいですね(半ジョーク、半本気)。 (でも、意図的に投射したとして、今現在までも読者批判をしてるとしたら、ちょっ とくどいですね。単行本が30巻にも達しようとしてる作品を、その為に使ったんで すから。物語として読むのが好きな僕から言えば、意図的だった場合、らんま1/2は最 初は批判読者の、後には作者その人の犠牲になったと思えるんです。具体的に何が、 って言うと、らんま1/2の初期の設定がです。それが本当に存在するならね。) で、らんま1/2の初期設定変更の事です。これは、有りますね。あかねの断髪の所で きっぱり、かどうかは分かりませんが、あの辺りで何かが変わっているのは、多くの 人が感じたのではないかと思います。定かでは有りませんが、僕は絵さえも変わった ように思います。 初期設定変更に関連して、なびきの性格。何かは引っかかっていたんですが、飛鳥 さんのMSGを読んで、「あああ!!」、っと、言われてみればその通り、と思いま した。確かに、初めはひねくれてません(笑)。金に固執し出すのは九能登場位から ですね。 この文章を書いていて湧いた思い。高橋留美子は、かつては2つの長編連載を平行 して行なってました。しかし、今は、長期的に間断なく連載しているのはらんま1/2だ けです。そのらんま1/2に、かつて2作品に分けてそれぞれに表現していたるーみっく わーるどが同時に注ぎ込まれているとしたら、良く言えば多面性を持つ、悪く言えば 一本通ったモノが判り辛い、そんな作品になるのも、普通は当り前なのではないかと 、こう思んです。だから僕が、らんまはめぞん一刻の様に恋を描きたいのか、うる星 やつらの様に奇妙なファンタジー世界を描きたいのか、ハッキリしない様に感じたの は、原因の一つにこの事も有るのではないかと。 P.S. いつもいつも文章に一貫性が無くてすみません。行き当りばったり思い付き方式書 きながら論理展開は考える、って方法?で書いてるので(ポリポリ)。編集すりゃあいい んですが、一通り意味が通る程度に推敲すると、もう、「ああー、しんど」って、こ んなもんでいいやぁ、という気になって寝てしまうので………(;) 94/3/17 by 今回は読者批判意思存在派の立場で書いた 阿修羅