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投稿日時:1994/ 6/ 6 1:17 投稿者ID:YUD09175
#1691/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (YUD09175)  94/ 6/ 6   1:17  ( 92)
考察>RE#1690 「認識」と「感覚」   マッシャ・アッキーニ
★内容
《altjinさん》

 早速のお答え、ありがとうございます。疑問に思っていた点がいくらか解消さ
れました。
 #1690の前半は、#1687の「認識」に関する考え方を追認したものとして読めま
したので、特に引っ掛かるところはありませんでした。
 細かいところでは、別に後の論理展開に影響するわけではありませんが、

> その「基準体系」こそ「認識の正体」であるはずです。
 これは「認識の正体」というより、文脈から判断すると、「認識の基盤」のよ
うなものではないかと思われますが。この例えでは、乱馬の中の「基準体系」と
目前の物体との差が「認識」なのですから。
 ま、どちらにせよ大意の理解に影響はないようなので先に進みます。

 「非言語的基準体系は存在しない」ことの証明がありましたが、これは#1688で
私の疑問が生じた原因と同じことですので了解済です。再検証として読ませてい
ただきました。
 前回、私がどうしても納得できなかった点は、altjinさんの説明でだい
たい分かりましたが、更に分からない点が増えました(;_;)。つまり次の点です。
 「基準体系内」に分類不可能な「感覚」は「無意味」となり、瞬間的には「感
動」にもそれに近いものがあるというところ。
 ならば「感覚」も「認識」に含まれるのではないかと思うのです。「言語」を
介さない「認識」が存在しないということがどうしても納得できなかったのは、
今回の例えを借りれば、「抽象画」や「ナンセンスなギャグ」に対する人の反応
は、言葉にならない何かによって、「基準体系内」に分類可能だと思ったからで
す。ところが今回の、

>  一応どう表現すれば良いのかわからないので「言語」としましたが、言語そ
> のもののことではないので念のため(^^;。
>  「言語構造」「価値体系構造」、そういう「構造」の方に主点が置かれてい
> ます(^^;。
 という説明で「言語」の示すところが拡大されたことで、結局、「言葉になら
ない何か」は「「言葉にならない何か」という言語」で、「無意味」は「「無意
味」という意味」として、「基準体系内」での位置付けができると推定できます。
そしてそれは取りも直さず「認識」と言えるのではないでしょうか。
 それなら前回の疑問は解消されたことになったも同然なのですが、今度は、

> 「認識」はされなくても「感覚」は可能です(^^;。
 ということが理解できなくなってしまいました(;_;)。「空をもたらすもの」に
しても、そういうものとして「認識」されることになるのですから。
 それとも、「感覚」の解釈を誤ってしまったのでしょうか…。


 …疑問を残しつつ、次、いきます。

> もしかしたら私が「誤読は許さん!」というタイプのように思われているかも
> 知れませんが、
 いえ、全く思ってません。全然(^_^)。「誤読」の例えを出した意図は、alt
jinさんの提示された「物語を読むこと」が、「作者の提示する価値付けを納
得する」のを可能にすることのように書かれていたので、「んなあほなァ!」と
仰天しまった私の心境を表現することでした(^_^;)。
 そのことについては、

>  「そうなるような話を作る」ことこそが創作活動の究極目標と言えるかも知
> れませんね(^^;。
 ということでしたので、了解しました。
 なお、「私の杞憂」というのは、「作者という主体が無視される傾向があるの
ではないかという心配」です。もしや若干違う解釈をされているのではないかと
感じたので一応断っておきました。


>  いや、「時間的前後における中央」すなわち「映画の時間的中間点」のこと
> ではなく…(以下略します)
 またしても、誤読でした(^_^;)。ごめんなさい。

>  だから、「うまい」「うまくない」は、「作者が楽出来る(その分、別な部
> 分にエネルギーを注げる)か否か」だけの観点であって、作品の出来不出来を
> 価値付ける表現ではありません、念のため(^^;。
 承知しました。

>  「言語」という「杖」でまさぐるのではなく、「素っ裸で抱きつくこと」が
> 大事だと思います、やはり(^^)
 先に言われていることと矛盾しているような気もしますが、気持ちは分かりま
す。


 その他は、幸いにも(^_^)私の考えと大きな差はなかったし、話せば長くなりそ
うなので割愛します。

 ついでですし、「作者」と「読者」の関係についての私の持論を少しだけ挙げ
ておきましょうか(^_^)。

   ・最良の「読者」は「作者」である。
   ・「読者」が一人でも存在するのならそれは「作品」たりえる。

 これはaltjinさんと同じく、私自身が漫画を描いてきた「経験」による
ものです。極端な思想と思われますか? それともそうでもありませんか(^^)?

(ついに「るーみっくの話」がほとんどなくなってしまいました(^_^;)が、目的
 は自明のことと思いますし、無理にネタを加えてもあまり意味がなさそうでし
 たので、こうなりました)
                         マッシャ・アッキーニ
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