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#1732/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 94/ 7/ 1 0:22 ( 71) 考察>RE#1727 乱馬の対立者 altjin ★内容 ども、マッシャ・アッキーニさん(^^)。 >乱馬くんの対立者・・・ これについては、考察「めぞん:二階堂と八神」で触れたあたりから、私は 「けも先生の無意識的作法」ではないかと思うようになりました(^^)。あるキ ャラが大きく変化し始める時、そのキャラの「過去からの分身」が現れてその キャラとあれこれやる、と言うことです(^^)。裕作に対する二階堂クン、響子 に対する八神いぶきはまさにその典型例であり、うる星でもあたるに対する真 悟なんかがそうじゃないかと思われます(ラムにはそうした対応が見当たらな いのが興味深いですね(^^;)。いずれにしても、彼ら分身とのやり取りを通じ てそのキャラは確実に一歩前進するようです。裕作−二階堂=優しさ、響子− 八神=自己本意さの克服、あたる−真悟=真剣さ、あたりになるでしょうか。 さて、乱馬の場合、乱馬が男でも女でもあることによって問題がややこしく 深刻になってしまいますね(^^;。ハーブ、公紋竜は明らかに「男の中の男を目 指していた頃の乱馬」ですが、それを克服して一体「どこへ」成長すると言う のか? 一角マングースの角笛は「ボーイ・ミーツ・ガールにおけるラムの抜 けた角」であると私は以前に考察しましたが、最新の対応「男としての乱馬こ そがラムである」ことと、マングースがハーブとイコールであることは非常に よく一致します(^^)。猫もまたラム的なものと言え、乱馬が最初猫化した時は トビラ絵を除く本編中ではずっと男のままでした。従って、「男としての乱馬 =ラム=ハーブ=一角マングース=猫」の対応が非常に強く出て来ます(^^)。 この「男乱馬=ラム」の対応は、「乱馬とあかねの登校風景」が「ラムとあた るの登校風景」に位置関係がそっくりであることからもわかりますね(^^)。 「命の水」は乱馬自身にはあまり関係ありませんでした(^^;。だから、これ はあまり重視しない方が良いように思われます(^^;(オロチは某SIGを中心 とする考察家たち、命の苔を自分からは見えない頭のてっぺんに乗っけてらん まを食べようとした8番目の頭は某SAMWYNでしょう、きっと(^^;。ちな みに私の最初のMSGは感想でジャコウ王朝編:良牙が死ぬ!? の頃、考察 はひな子登場編終わり頃で、そうですね、私の小説と関係があるかも知れない イメージは真之介編の「モップを振り回す学生服姿のあかね」あたりから、で しょうか(^^;。ハーブ編が終わった直後にアップされた小説「嵐を呼ぶ女」で 「モップを振り回して奮戦するタキシード姿のあかねと、良牙とともに闘うパ ーティードレス姿のらんま」の場面があります(^^;(私がそれを喜んでいると 思う方は聖書のヨナ記を読まれるように(^^;。しかし、私の対応付けではうる 星やつらは旧約、めぞんは新約、らんま1/2はクルアーンなので、かなり楽 観視している私は風が好きっ#^^#!))。 >「条理という暗黙の前提」が消えてしまっている 「不条理」に対するスタンスの違い、より具体的に言えば、筒井先生が「提 示者」でけも先生はその「享受者」であったことによるものと私には思われま す(^^)。筒井先生の「不条理」は子供向けの話に至ってすら「条理との葛藤」 から来る「悲劇性」を強く内包し、そして最後には結局ぶつかりあって「とも に崩壊する」か、または最後まで相容れないままであるのに対し、けも先生の 視点は「条理は不条理の『部分』に過ぎない」とするもの、「最後はすべて不 条理へと帰って来る」ものであるように私は感じます(^^)。つまり、「不条理 を『不』条理として捉えるか、『不条理』として捉えるか」の違いだと言える でしょうか(^^;。あるいは、筒井先生は不条理を条理にぶつけることで両者を 超越せんとするのに対し(これゆえに、筒井先生にとってはおそらく、「不条 理と条理は等価値」なはずだと思われます(^^))、けも先生は条理の中の不条 理を示すことですべてを不条理に取り込まんとする(すなわち、けも先生にと っては不条理に絶対的な価値が置かれているようです(^^))、それゆえに筒井 先生の作品には最後に「否定的な毒」があるのに対し、けも先生の作品では最 後に「肯定的な優しさ」があるのである、と言った方がわかりやすいかも知れ ません(^^;。 『虚航船団』は私が読んだ最新の筒井作品なので特に触れますが、「条理世 界がまったく描かれないことによって、逆にとてつもなく強調されている」よ うに私は感じました(^^)(前半がそうで、後半は「条理世界のパロディ化」、 そして最後は両者が激突して−−この「総体的流れ」自体は『幻想の未来』と ほぼ同質と言えるようですね(^^)。より高い統合へ至るか、そうしたロマンテ ィズムを廃して「観察」に徹底するかの違いはありますが(^^;。『虚航船団』 では、その「まったく出て来ない真の条理世界」が最後まで厳然と他存在的に あって、例えば黒沢明監督の「乱」のようだと私は感じました(^^))。 結局、総合して言えば、「筒井先生の作品ではあくまで『条理に基づいた不 条理』、読者の『前提』を破壊する方向へと不条理が展開されるのに対し、け も先生の作品ではその『前提』の破壊という要素がほとんどなく、『条理と共 存する不条理』がいきなり意表を突くように出て来る場合が多い」と言うこと です、私が言わんとすることは(^^;。 altjin