SIG るーみっくわーるど SIG るーみっくわーるど」は、漫画家 高橋留美子先生(るーみっくわーるど)の作品が好きな仲間が集まっているグループです。 るーみっく好きなメンバー間コミュニケーションのためのチャットや掲示板の提供、るーみっく系イラスト・小説・リンク集の公開などを行っています。 オフ会も不定期に開催されています。1992年6月にPC-VAN上で誕生した歴史あるグループです。
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投稿日時:1994/ 7/ 6 23:26 投稿者ID:YUD09175
#1749/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (YUD09175)  94/ 7/ 6  23:26  ( 76)
考察>「流言」の効用         マッシャ・アッキーニ
★内容

 デマ発生のメカニズムというのは何とも面白いものです。

A→B:「私は乱馬くんは男も女も同じくらい好き」
B→C:「Aは両刀使いだそうだ」
C→D:「Aは男が好きらしい」
D→A:「おまえ、ゲイだったのか?」

 というように、「〜そうだ」「〜らしい」が抜けていって、しまいには確実な
話になってしまう。「Aは〜かもしれない(想像)」となるとき、Aさんは火の
元ですらありません。「伝言ゲーム」的な面白さと言えます。ときどき「デマ」
の方が物事の本質を突いていたりするのも面白いです。当事者にとっては迷惑以
外のなにものでもありませんが。
 「デマ」の語源はドイツ語の「デマゴギー」で、元々は大衆を煽動するための
ものだったそうです。根拠のない噂のことを「デマ」と言うとき、そこには「捏
造」「悪意」といった、否定のニュアンスが認められます。しかし困ったことに
人間はそういうものが大好きなのです。
 るーみっく作品も、こうしたモチーフには事欠きません。

 「なんの話だっ、そりゃ確かにおめーの胸は小さいが…」
 →「××××××おめーの胸は小さい×」
  →「でも乱馬喜んでるわよ。でかい胸好きみたいだし…」
             (興味のない事柄は耳に入っていない(^_^))

 「変態じゃない?」「(ひそひそひそ)」
 「間男だそうですよ」「ほおっ」
             (確かにそのようにしか見えない)

 「実は今朝…」「寝小便したっちゃ。」
 「先生を。」「腹いせに。」「再起不能に。」
             (「リュウゲンビレア」によって「流言」に尾ヒレ
              が付いています。噂に翻弄される人間の可笑しさ
              ですね)

 『めぞん一刻』は「誤解」によって話が展開しますし、『らんま1/2』に至っ
ては、最後まで誤解したままというケースさえ見られます。

 さて、「流幻沢・飛御の森」という地名には「批判」が込められている、とい
うaltjinさんの指摘は、確かにその通りだと思います。ただ、

>         そこで起こることはほぼすべてが「デマとそのなぞり」のは
> ずであり、それは最後には否定され、「これこそが真実である」何かが示唆さ
> れる、そのような方向付けで話を作るだろうと考えられます。そして、真之介
> 編はまさに「それ」なのです。

 というのは果たしてどうでしょうか。「流言」によって、どんな形であれ「世
界」が活性化されるという事実を見逃してはならないと思います。単に「デマは
やめてくれ」というように解釈すると、却ってイメージを固定化してしまうと思
うのです。むしろこうした現象を、けもさんがより高次のレベルで描いていると
見た方が、私にとっては面白いです。
 真之介編が掲載され始めた頃、私は「飛御の森」が、まるで「らんま1/2と
それを取り巻く状況」のように見えました。はっきりとそう自覚した訳ではなく、
「何か奇妙な、どこかで感じたことのあるイメージ」と思っただけでしたが、私
をそう感じさせたものの正体が2週目に判明しました。
 「うーん。何なんだろーなぁ、こりわ」と思いながらごろりと横になったとき、
本棚の中の、ある雑誌の背表紙が目に入りました。そこに描かれていたのは、
「カモノハシ」でした。つまりその雑誌とは「ファンロード」です。
 かつて「ファンロード」で、「最終回予想」のようなコーナーがあったのを覚
えておられるでしょうか。その第1回は「らんま1/2」でした。ここで挙げら
れた「あかねの料理が上手くなって終わる」「あかねが男になる」などのイメー
ジが、真之介編のものと一致しています。だからあのカモノハシは「ファンロー
ド」だと言いたいわけじゃないですが、「ファンロード」といえば「デマ」です
よねぇ。私がそこから連想した、ということです。
 当時『PATLABOR THE MOVIE』に傾倒していて、「2」という数字に異常に反応
してしまっていた私が、麝香王朝編と真之介編を読んで、altjinさんの挙
げられたような対応について、一部の連中に得々と触れ回ったのは言うまでもあ
りません(あの、芋づる式に湧いてくる感覚は何とも言いようがありません)。
今より輪をかけて「らんまちゃん×良牙くん」派でしたので、この部分について
の考え方はaltjinさんと驚くほど似ています。違うところといえば、私の
場合は真之介編を「デマ」のシミュレーションとは見なかったということくらい
ですね(言うなれば、そこが大きな違いですが)。

 私が『らんま1/2』の元型がどーのと考えるようになった動機は上記のよう
な経験から来ています。お解り戴けたでしょうか。

                         マッシャ・アッキーニ
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