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#1753/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 94/ 7/ 7 21:40 ( 64) 考察>RE#1748,#1749 すべては藪の中です(^^; altjin ★内容 ども、マッシャ・アッキーニさん(^^)、 >「そこはらんま1/2の元型世界である」という読みを否定 より正確には、「『そこはらんま1/2の元型世界である』という一義的な 読み」を否定しました(^^;。つまり、真之介編を元型世界として読むためには 逆に「#1742において考察されたような可能性を割り引かねばならない」 と言うことです(^^;。ハナから「そこはらんま1/2の元型世界である」と読 むことでそのような事項が隠されてしまう恐れがあったために#1742はア ップされました(別に今さら飛鳥 杏華さんを攻撃しようとするものではあり ません(^^;。ただ、どうしてもその読みを避けると曖昧になってしまうので、 ならば今ここで、あえてまとめて(私の読みを)明確にしておこう、と考えた 次第です(^^;)。 わかりやすく言えば、「そこはらんま1/2の元型世界で 『も』ある」と読むべきではないか、という提案です(^^;。 >1.と2. は確定ではなく「可能性」です(^^;。「そう読むべき可能性が高い」という ことを警告したものです(^^;。何しろ私は飛鳥 杏華さんのことも一刻会のこ ともほとんど無知と言って良いほど知らないので、私としてはあえて可能性だ けを提示するにとどめて、その可能性の確かさ等その他は一刻会と同人活動に 詳しい他の方々の各々の判断に最初から委ねるつもりでした(^^;。 >「五寸釘 光」が「デマ=流言飛語」を生んだということが、なぜ >「そこ(流幻沢)はらんま1/2の元型世界である」という読みを >消すことになるのか 上に書いたように、もし真之介編が「デマ」がらみだった場合、象徴的シン ボルの大半が「けも先生の無意識由来」ではなく「デマ由来」のものになって しまうためです(^^;。その場合でもむろん、「けも先生がそのデマのある要素 とあるシンボルを結びつけた由来」を探ることで「元型世界」を探ることも不 可能ではありませんが、しかし非常に難しくなります(^^;(私の真之介編での あかねの考察は「一見それらしく」見えますが、しかし今翻って見るとそれに 従ってあかねが変わった気配がほとんど見えないので、あれはもはや妥当なも のとは言えません(^^;)。なぜなら、「けも先生が何に対してどの程度の知識 を持っているのか」で解釈が大幅に変わってしまうためです(^^;。 例えばコミックス第29巻の表紙の絵の配列が「逆卍」だと私は指摘しまし たが、それが意図的なものだった場合、「逆卍=否定」を果たしてけも先生は 知っておられるのかどうかで解釈は正反対に変わります(^^;(もし第30巻の 表紙が「正卍」なら、これはけも先生が「正卍」と「逆卍」が対概念であるこ とを知っておられることを示唆しているわけで、それではじめて「ほぼ確か」 と言えるものになります(^^;)。 >デマはやめてくれ ものによりけり、でしょう(^^;。デマが真実でない以上必ず被害を受ける人 がいるわけで、最近では皇后陛下が見舞われたデマの嵐などは「深刻な」例と 言えます(^^;。 けも先生は響子&裕作と性格が近いと発言なされているので、「響子があら ぬデマに直面した場合どう反応するのか」を想像すればきっとけも先生の反応 例として当たってるんじゃないでしょうか(^^)? >カモノハシ ををっ、そいつは気づきませんでした(^^)(一応83・84年の2月号を持 っています(^^))。あ、ちなみに、真之介編がああ読めることに気づいたのは 実はマッシャ・アッキーニさんがその話題を持ち出されて改めて考えて見た時 で、「真之介編=(デマ云々に関係なく)あかねの恩返しの話」であることに 気づいた時−−私の考察は書きながら考えているのです(^^;−−は本当にビッ クリしてしまいました(^^;(「らんま=ラム+響子:あかね=あたる」の発見 以来です、それほどの衝撃を受けたのは(^^;)。 元型云々の動機は今1つわかりませんが(^^;(これって、心理学でいう「元 型」ですか(^^;?)、以上、私は「『そこはらんま1/2の元型世界である』 という一義的な読み」については否定的ですが(^^;、「そこはらんま1/2の 元型世界で『も』ある」とする読みについては否定はしません、と言うことで す(^^)。 altjin