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#1918/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (YUD09175) 94/10/ 3 6:11 ( 67) 考察>RE#1917 誰がやればいいんだろう マッシャ・アッキーニ ★内容 《altjinさん》 「現代の英雄」、読ませていただきました。表題から想像していたものに反し て、大衆芸術批判の中の一要素として「ヒーロー論」があるといった感じでした が、大変面白かったです(あるいはこの表題は、「集団ヒーロー」における「ひ ねくれ者」のことを指しているのでしょうか?)。 読んでいて思ったことをいくつか挙げますね。 > 「集団でなければ勝てない=個人は無力=個人の正義不正義より集団の正義不 > 正義が優先される=みんなでイジメれば怖くない」 という思想は「反民主主義」だから打破されるべきだという論旨は、非常に明快 です。しかし、この思想を生んだのが他ならぬ「民主主義」だったとしたらどう でしょう? 日本では「集団ヒーロー主義」が好まれるんでしたよね。集団主義が常に個人 主義にまさるという思想・物語を欲したのは、受信者=大衆ではなかったでしょ うか? 「民主主義」とはいっても、政治は、尊重すべき「国民の意思」を代表するも のとして、少数より多数を優先します。これと「全体主義」との差は、果たして そう明確なものなのでしょうか? > 以上のようにすれば、「無意識のうちに全体主義・軍国主義的日本を復活さ > せてしまう」子供たちを生み出すことを阻止出来ると思われます。 気になるのは、それを「誰が」「どこで」やるのか?ということです。また、 そうすることによって、本当に思い通りの効果があげられるのかが疑問視されま す。なぜなら、それが広く受け入れられるか否か、商売として成立するか否かが 考慮されていないからです。いや、それ以前に、現在の日本がすでにそのような 「子供たち」を生み出し続けているとしたら…。 altjinさんが指摘された「集団ヒーロー主義」が洗脳的であり、直接ま たは間接的にそういった思想を植え付けている可能性は確かにありそうに思いま す。そういったものを観て育った我々とて例外ではないかもしれません。ただ、 その「罪」が、そういったものを直接的に生み出した表現者・創造者にあるとい うよりは、今まで築かれてきた経済的繁栄を支えるシステム自体が、そういった ものを生み出す方向性を持っているように思えてなりません。 > 「感動的」なものなればこそ、むしろ「批判的」に分析し、その由来と功罪を > はっきりさせておくべきなのです。それが日本という前提共同体をさらに発展 > させる根本的な方法だと私は考えます。 そうなれば言うことはないのですが。しかしここまで読んできたことは、結局 は理想論に過ぎないような気がします。 先達がそれを全くやってこなかったわけではありませんし、それによって何か 大きな変化があったでしょうか? そもそも、「分析」されたものを「読み手」 が理解でき、実践できる保証はあるのでしょうか? …どうも私は悲観的になりすぎる傾向があるようです。altjinさんの論 が綺麗に完結しているように見えることから一種の安心感が生じてしまいそうに なるのに対して、つい抗ってしまうわけですな(^_^;)。 以上、参考になりそうもない駄文でした。多謝。 P.S. > しかし、現在のドラゴンボールやセーラームーンを見るに、この「ガンダム > 主義」はまだ批判的パワーを持っています。 ここまで分かっておられるということは、 > であるなら、ここでけも先生が伝えられたかったのは、「らんま1/2はセー > ラームーンと同質の話である=主人公の女の子が敵と闘い、ラブ・ロマンスを > 展開する話である=主人公である乱馬は実は女の子である」と言うことだった > のではないでしょうか(^^;? (#1765) これってもしかしてブラフだったんですか? どーでもいいですけど。 マッシャ・アッキーニ