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#2096/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QEG72756) 95/ 3/13 23: 9 (130) 感想>これがテクニック!(笑) 飛鳥 杏華 ★内容 うーん、乱馬くんは確実にのどかさんにしっぽをつかまれつつありますねぇ…。 (「しっぽ」じゃなくて「おさげ」か! 笑) 私はのどかさんが出て来るたびにドキドキしてます。乱馬にとって、最後に残さ れた大きな障害だと思うし、ある意味ではあかねとの関係よりも問題なんじゃない かと思っています。 「バレたら切腹」というのは、のどかさんに秘密を知られたときには「らんま」 は終るということを暗示しているようにも感じます。そうでなくとも、私は、のど かさんが登場する直前から、母親の登場は「らんま」の完結を導くなんて考えてま した。ただ莫然とですけどね。 ですから、「らんま」を終らせないためには、どんなにのどかさんがかわいそう でも、乱馬くんに逃げ切ってもらわねばと思うし、のどかさんがかわいそうなのは わかるけど、そのたびに乱馬くんがあたふたするところを少しでも長く見ていたか ったりするわけです。(笑) でも、徐々にではありますが、確実にのどかさんは核心に近づいてきていますね。 やっぱり、35巻ぐらいがあぶないんだろーか?(^_^;) さて、私の書きたいことは、ぐずくずしているうちにほとんどマッシャ・アッキ ーニさんに書かれてしまった感じですね。(^_^;) 私も、扉絵のあかねちゃんの足 を見て、「もしかして、牛のコスチュームの下は道ちゃんじゃないか?」と思った 口でした。 しかし、牛のコスチュームというのは、いかにも「ちち」を強調したものですね。 牛の中でも乳牛としていちばん馴染みの深いホルスタインの柄だし、胸にはご丁寧 に「MILK」とまで書かれています。この絵を見れば、普通、どうしてもそこへ 目が行くと思います。 私も一見しただけのときは、「けもさん、あくまで『ちち』で押し通してくるな ぁ…。」という感じだったんですが、足から、下に道ちゃんらしきものを身につけ ているのに気づいてからは、見方が変わってきました。 下に着ているのが道ちゃんなのかどうか? 確証はありません。そうかもしれな いし、違うかもしれない。それが牛のコスチュームによってカムフラージュされて るんですね。つまり、牛(ちち)は、あくまでカムフラージュであるという見方で す。しかも、このようなボテッとした衣裳をまとうと、胸の大きさもカムフラージ ュされますね。 「麝香王朝編」以来、もともとこの「ちち」には隠された意味が込められている と見てきましたが、今回のこれでさらにその印象を強めました。 いままで、「ちち」を前面に出した話はいくつかあります。代表例を挙げると、 そこで「ちち」に対して興味を持ったり、「ちち」に飛びついてきたりするのは、 ライムやミントであり、八宝斎や楽京斎であり、ヤマタノオロチであったりするわ けです。 これらがいったい何なのかって考えてくると、私がここずっと考察を続けている 中では、これらのキャラは全部暗に「読者」を示したものであるという結論に達し ているんですね。特に、即売会などでHな同人誌を好んで買いあさるような「読者」 ではないかと…。ということは、「ちち」にこだわっているのは、高橋留美子では なくて、そういう「読者」なんじゃないだろうか? けもさんは、そういう「読者」 に餌をまいているんじゃないかなということになる…。 なぜ、餌をまくのかといえば、表面上はそういう読者を喜ばせて作品を盛り上げ てもらうため…でしょうか? しかし、例示したキャラたちが「ちち」につられた り、「ちち」に飛びついたりした結果、どういうことになっているかを考えると、 そこに非常に辛辣な図式が見えてくるわけです。 この場合、猿らんまの「ちち」に気をとられてバカを見たハーブも、その例の1 部とも言えますが、ハーブの場合はむしろ「ちち」反対派でしょうか…。「ちち」 に対して過剰なまでに嫌悪感をあらわにする「読者」という感じもします。そして その怒りの矛先は乱馬(けもさん)に向けられている。 だが、もともとこの「ちち」ネタを招いたのは誰なんだろうか…? ハーブの怒 りの原因を作ったのはあくまで「猿」じゃないのか? 「猿まね」のパロディ同人 が描いた裸のニセらんまちゃん(すなわち、猿らんま)ではなかったのか? しかし、ハーブは最後に救われる一面をのぞかせました。それは乱馬(「らんま 1/2」)を評価したことですね。そのあとで、「ちちの話はもういいっ!!」と いう台詞を残している。恐らく、多くの読者がハーブのようになれば、「ちち」の 話はもう必要なくなるのでしょう。(でも、実際にはそうはうまくいかないので、 「ちち」の話はあとからあとから出てくるのかな?(^_^;)) さて、随分と話がそれてしまいましたが、今回の「ちち」の話は、これまでのこ うしたパターンとは違って、「ちちくらべ」の話になっているわけですね。このあ たりは、雨宮さんが第1話、第2話と対応するものがあるとOLTで指摘していま したが、私もそんな感じを受けました。 また、マッシャ・アッキーニさんが指摘した、「ラムコムXXI」に掲載された 「あかねの胸論争」についても、まったく無関係ではないかなという印象を持ちま した。 それは、単にこの論争の発端である「あかねの胸は小さいという設定になってい るが、小さく描かれていない」ということに対して、大きくなったという言い訳的 設定を作ったということではなくて、そこから派生した作画についての手抜きとい う指摘や代筆問題に対する回答らしきものを感じたということです。 何が回答かと言えば、このMSGのタイトルでもある「これがテクニック」の一 言です。 これは、なにげないエステのポスターのコピーですが、私はこの文句に非常に意 味深なものを感じてしまいました。このポスター、よくある「○カ月で○kg痩せ ました。」といういわゆる「使用前、使用後」タイプのやつですが、この比較図に 「スリム化」という言葉が浮かんできます。 スリム化とは単に細くなるという意味ではなくて、軽量化、簡略化という意味を 含んだものです。つまり、ゴテゴテと細かく描き込むばかりがテクニックではない。 作品の性質に合わせて絵をスリム化するのもまたテクニックなのだという回答です。 手抜きだなんだと言うけれども、これがテクニックなのだと…。 私は、個人的には「めぞん」の後半期の絵柄がいちばん好きなのですが、実際問 題、今の「らんま」をあの頃の絵柄で描かれたら、かったるくて、じれったくてた まらなくなるだろうと思います。少なくとも、今の「らんま」にはこの絵柄がベス トだろうと思うのです。 それに、先日の「小さなハート」の感想でも書きましたが、簡略化された絵の中 で、力感や情感などを表現してみせる技術もまた、プロの技だなと思うわけです。 それと同時に、「らんま」になってからは構成に対する力の入れようがものすご くなってると思う。私なんかは、むしろこっちに魅かれて夢中になっていたりする わけです。なかなか、こっち方面を評価してくれる人は少ないようですが…。 それから、あの論争では話が代筆問題にも派生して、その中で「噂の眞相」にそ れを匂わす記事があったことも出てきましたが、奇しくも「噂の眞相」−1995 年4月号−(3月10日発売)に1年前の代筆を匂わせる記事に関して当該部分を 削除する旨の文章が掲載されました。 この文章が、この号に掲載されることは、文章の性格からして事前にけもさんに 知らされていたのではないかと思うのです。となると、もしかするとそれに合わせ てこの時期にこのネタをぶつけてきたのではないかと考えることもできます。だと すれば、まさに時の魔術師・高橋留美子の本領発揮というところですね。 まあ、そういう絡みもあって、回答らしきものを感じたということなのですが、 これはあくまで私の感想…。あまり今回の話の感想にはなってませんが…。(^_^;) QEG72756 飛鳥 杏華