![]() |
#2222/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (XGM38132) 95/ 6/ 7 0:27 ( 75) 感想>RE:2218:秘密の園じゃあるまいし&視点の話 by阿修羅 ★内容 まずは素朴な疑問に回答。 > 「らんま1/2」に阿修羅さんの求めるものが欠けているというのは仕方のない >ことだと思いますが、そういったことをなぜここで書かれるのかが分かりません。 そう思ったから、としか言い様が無いんですが…。理由が要るのでしょうか。 > ではそうした愚痴または独り言のようなものを開 >陳することによって何を意図されたのでしょうか? 意図と言われても、感想ですから、そう明確な物は無いです。強いて言えば意志 表明ですねぇ。それから、自己完結してると言えばそうですが、本当に完結してい たら上げてません。 とは言うものの、#2196 はどうも文面に意見を受け入れる姿勢が欠けてました。 これからはもう少し柔軟に考える様にしてみます。 >>軽くて味が無い、と言うのが(33 巻まででの)後期に一貫して感じる事ですね、 >>残念ながら。 > 私は重くて味がある、と思ってますが、阿修羅さんがこのように思っていようと、 >それが「残念ながら」であろうと、はっきりいって知ったことではないです。この >作品のよさがなぜ分からん!…と憤ったり不愉快になることはありますが。 そうですか。そう思われるのでしたら、それは仕方無いですね。ただ一つ。良さ が何故解らん、とそこでその何故かの理由には疑問を持たれないので? ってまぁ、 他人が何故何かを理解しないのかなんて解る訳が無いと言えばそれまでですけども、 受け手ばかりに理由があるとは限らないのではないかと。 僕個人は何故自分にとってらんまだけが違って見えるのか、と言う所に興味がいっ とります(裏を返すと何故他の作品は…と言う事ですが)。 以下視点に付いて。 まず、僕が使った「視点」の意味ですが、作者のスタンス・物を見る感覚として の視点、であって、物語をどの登場人物の目から描いているか、と言う種類の事で はありません。 また、単に技術的な問題だと思うならわざわざ書いてません。最近のらんまのバッ クボーンにある高橋さんの感覚がようやく見えてきた様な気がして(本当か? (^^;))、その上で、変ったなと感じたんです(思ったのではないです。何しろ考 えるに近い形で思える程僕は解釈学も認識論も学んだ事がありません故)。 感情移入に技術が、と言うのはそう思います。ただ、技術のある無しに関わらず 感覚的に噛み合わない、と言う事が言いたかったのです(まさか一読でこう言う事 を言っているのでは無いのでその点はご理解頂きたい)。 >ということとは関係がないと思います。これは書き手の側だけの問題でなく、受け >手の側のことも考え併せる必要のある問題です。というのは、「感情移入にも技術 >が必要」だからです(普段は無意識にやっていることですが)。 受け手の側の事も考える必要があるのならば、それと同等に描き手の側の事も影 響していると考えられるのではないでしょうか。無関係と言われる根拠が今一つ解 りません。 でもまぁ、自分自身が感じている違い、を具体的な言葉に出来ていない状態で、 反論に根拠を示せと言うのも無茶な話しですねぇ(苦笑)。 > だいたい、自分が作者になった場合のことを想定すると、視点をどこに置くのが >(物語作法として)より簡単かはすぐに分かることです。 すぐに解る事なのですか。うう、難しいけど。なにか3人称が一番楽という話は 聞いたことがあるのですが。 >>自分が感情移入する事で作者に操られるのは構いませんが、その最中に「糸」が >>見せられるのはね。これは嫌ですね。 > う゛……、見えるのですか。それはそれで羨ましい…。 見えると言ってもなんとなくのレベルを出ていないので、羨まれるような物では …。以前は作者が一緒になって踊っていたのが、最近は遠くから糸で、と言うとイ メージが近いかも知れない(年長者の感覚、アウトサイダー的)。 >>まぁ、結論を先に言ってしまうと、歳をとられたんだなと感じていると言う事で >>もあります。 > いい意味で、私もそう思います。 自然な事だと思ってますよ。ただ、寂しさは禁じ得ません。もう以前のノリは見 られんのだなぁ、とね。 芸術は技術ではないという のが僕の考え。技術は工芸 by 阿修羅 P.S. >「畢竟(ひっきょう)」…「つまり」とか「結局」とかの文語的表現ですね。私は >よく目にするので気にならないけど、日常会話で使うのはやめてほしい(^_^;)。 日常会話で……。何処の聖人様なのだらう…。