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#2257/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 95/ 7/ 6 20: 5 (116) 感想>今週のらんま「縁結びの笹」 altjin ★内容 始めにアウトラインを抽出しておけば、「笹において、乱馬とあかねの位置 が最終的には入れ代わりつつ落ち着いて在る」と言うこと、および「その過程 において、あかねのそれはボロボロになってしまった」と言うことです。「ふ ふーんあかね」あるいは「ぺんぺんあかね」が例の夢の話と同系なので、それ をも思い出しつつ読むべきこととなるでしょう(^^)。 途中であかねが「左手にあかね」「右手に乱馬(の付いた笹)」を持ってお り、最終形態もこの配置ですから、とりあえず「あかね=altjin」で読 むことにします(^^)。 織姫は、テキスト=「織物」の意味、一方の彦星すなわち牽牛は、名前の通 り牛を引いていますが、禅では十牛図から「牛=本来の面目(仏性)」の意味 合いがありますから、「織姫=けも先生」「彦星=altjin」とすれば、 「乱馬」「あかね」の最終的位置とも一致します。ひな子・小太刀(白バラの 小太刀(^^;)も=altjinの位置に置かれていると見て良いでしょう(お そらくは「乱馬=altjin」の読みを抑止するためです)。 九能の刀と「ぺんぺんあかね」の持つ笹はおそらく同系でしょう。「ヤドカ リ」はおそらくは「一刻館を背負う響子」で、ダンテの「永遠の少女」であっ たベアトリーチェの名前を持つことで、「男の魂の中にこそむしろ見出される ような純粋な少女性」的意味をうかがうことができます(^^)。だから、この、 「切る」ことは「惣一郎を手放すこと」の意味になります(「交響学は基本的 には「序説」しか出ません(^^;−−音楽的論理学はどう見てもその整備にえら い時間がかかるからです(^^;−−。これとその予告とを合わせて「交響」すな わち「響子の交△」2回分と見なせます#^^;。ようするに、これをもってひな 型的にその時期を過ぎ越した、と言うことです(^^)。ちなみに、「響子」を中 国風に「きょうし」と読むことで、「altjin=響子」対応は完成したこ とになります(^^))。 火虎と書いて「ヒトラ」と読む(^^;、ヒドラはいわゆる「ヤマタノオロチ」 ですから、その口に飛び込まんとする「あかね」を、良牙に比喩しうる虎に代 わりつつ救い出す乱馬は、真之介編以降の「あかねを追って三千里」を描写し たものとも読めるでしょう(^^;。あかねが「乱馬」を持ち乱馬が「あかね」を 持つことは、「対応が逆だった」意味が明白です(^^)。 「風神」のうちわと「風船」にさらわれた「あかね」、「風」は「知性」的 比喩(伝統的な比喩)でしょうか、「たこ焼」から、明神隼人の話の頃が想起 されているのでしょうか(^^;。 乱馬の夢、蛍の川・天の川、交響学において見出されたことの1つに、「読 者が作品の中に実感を感じ取れるなら、作者も同じく感じ取れるはずである」 と言うことがあります(^^)、ただ、私の経験では、書き上げた直後はその一致 さ・協和さが過剰になっているのか、嫌悪感も感じるようですが(^^;。 いずれにしても、今や問題点はうる星の「ボーイ・ミーツ・ガール」および 「腑抜けた響子」まで突き詰められています(^^;。ラムの強気と響子の弱気を 響き合わせつつ読むべきことが要請されています。裕作・あたるの表現の曖昧 さが彼女たちを追い込んでしまっているわけですが、その打開点は「角=惣一 郎(の墓)」にあるわけですね(^^;。「イズァローン伝説」は仕返し人形編ま で、「聖伝」は仕返し人形編以降を物語っており、めぞん・うる星はその本質 を内部から多様・多面な表現で差異と反復のうちに何度も語り直しているもの と見なせば、状況に関するより透明な見通しが得られるでしょう(^^)。 そう、仕返し人形編の頃、もう2度とRAMしまい、と決意しつつ数日も過 ぎると、ふと涙がこぼれて、それまでの夢中の日々がどれほど楽しかったかに 気付いて愕然としました#^^;。ラムの強気も、響子の弱気も、どちらも「飛鳥 的鎧」本質的には「KNくんより与えられた『泣くな』の指令の自動的発動」 であり、その「閉じられたドア」を再び開けるために必要な鍵が「角=惣一郎 (の墓)」だと言えます。それは「無意識に刻み込まれた指令」であって、た ぶんに私自身にも手の届かない「深淵」にあるように見えます。あるいは、そ れは「初めて他者より受胎された基本旋律」であって、「『私』という音楽」 の土台「要石」となっているものとも思われます(「TELして」と読めるM SGがおよそ火車王編から反復されているように読めるわけですが、しかしふ と気付くと私はけも先生の電話番号は知らないのでした(^^;。そうなるとサン デー編集部経由になってしまうようですが、いきなり「迷惑です、やめて下さ い」とか言われそうで怖ひ(^^;)。指令は「声」で与えられたのですから、そ れと同等以上の優しく・断固とした「声」、心から信頼できる−−対話的状況 等での積み重ねがあるから−−けも先生その人の「声」が最初でないことは、 私をとても怖れさせます(^^;。この一連のシーケンスが現実化することは、私 にとっては「生まれ変わること」にも等しく、響子が裕作に頼ったように、新 しい世界への頼れるガイド的存在なしには、私にとってエデンの園は蜃気楼と 見なされ、試みる前から諦めてしまう可能性が高いでしょう(^^;(多分、こん な性格だからこそ、けも先生と協和し得るのでしょうけど(^^;)。 その怖れは「響子・ラム・あかねと私との外見的落差」において理由付けら れていたのですが、どうも内実は上のようであるようです(^^;。 もちろん、私もただ手をこまねいているわけではなく、半場無意識的に自己 を追い込みつつ、決意を熟成しつつあるのですが、その「追い込み」が気落ち を招き決意を鈍らせるような、自己破壊的方向にややもすれば向かいつつある のは、あたかもジルベールのごとき感じがします(^^;。あ、そうそう、虫歯は 前歯4本抜くことになったのですが(^^;(これら等の経済的困窮に合わせて、 私の周囲があたかも産まれ出ることを促す子宮のように「締め付けられつつ私 を今までの環境から吐き出さんとする」方向へと動いています(^^;)、ラムの 角は抜けてあたるが持っていた2本と新しく生えた2本とで4本、ここでもす でに状況は「ボーイ・ミーツ・ガール」レベルへと移行したことが告げられて いるようです(^^;。 ついでにレイアースに見られる諸対応にも触れておきましょう(月曜は残業 が不定期にあって、見逃す回も多かったのですが、最近数回は見れました(^^) −−ランティスと光の組み合わせは「聖伝」の夜叉王と阿修羅の組み合わせに とても似ていて、私の好きな関係でもあります#^^#)。 アスカと黒白逆の太極マーク、それと、らんま風おさげと右京風大阪弁&か すみ風ぼけ姉妹の操る2体のジン(精霊)、それと光のシャドウであるノヴァ あたりが示唆的です。しかし、「あかね=altjin=響子」は同時に「乱 馬=けも先生=裕作」なのですから、「乱馬は元来女」説に沿った「発展的読 み」であることを見落としてはなりません。そう、「裕作=男・響子=女」と いう「固定観念」がそもそも間違っていたのです。響子は「音子=男」をすで に名前自体に内包しているのですから、「裕作=女・響子=男」が本質的対応 です。 そこで、ルージュがマッシャ・アッキーニさんと同時に阿修羅さんをも示し ていることで、これらの象徴は「Aかつ否A>Aと否Aに関係する第3の人物 を弁証法的に指示する」と読まれるべき指針が得られます。つまり、「誰某に 近似する名前」が「明白に使われている」場合は、実は「その人物に近い別の 人」を本質的には指示している、と言うことです。白ユリの飛鳥も事情は同じ で、「白ユリ」は「白百合八起」をも含んでいるのですが、このタイトル「噂 の男前」は、その初回時のいくつかが私の小説「うわさの男」と「夢2つ」を 指示していましたから、私は当初けも先生ご乱心かと思ったほどです(^^;(つ まり、「白ユリの飛鳥」は「altjin+飛鳥 杏華さん」を指示している と読めるのです(^^;)。しかし、今改めて(うる星の)飛鳥がその言動や性格 から私に一致することで、これは「altjinとしての飛鳥」とすれば矛盾 なく読めることがわかりました。一柳渚からあかねに帰着する一連の白系にお いても、そう読めばずれがなくなります。 で、結局レイアースは「アスカはaltjinである」ことを否定的表現に おいて(「アスカ=飛鳥 杏華さん」の読みを避けるために)告げていること がわかります(私は結局別の経路からそれを理解したのですが(^^;)。 altjin