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#2327/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (VGJ14895) 95/ 9/27 5:57 ( 49) らんま>RE#2320,2322,2323 WHYかすみ? 雨宮 伊都 ★内容 《MR.M.E.どの》 お久しぶりです。……と一応ご挨拶しておいて、いきなり。−−着眼 点と発想の奇抜なことには度々感心させられてきたのですが、結局、上 っ面しか見えていらっしゃらないあたりは相変わらずですね。 かすみといえば安易に、「家事」「結婚」などを連想する、そういう 家庭的なものとしか結びつけられない、そんなところに、貴方のご観察 の悲しむべき浅薄さが如実に現れているげに感じられます。なぜそうま でして(十九の女の子に)「母親」の記号を着せたがるのでしょう? かすみは自ら望んで現在のような、家庭的・母親の代わり的な位置に ついた、と果たして言いきれるものでしょうか? 必ずしもそうとは限 りますまい。幼少のころからの家庭環境と、「長女」であるという二つ の要素が、あるいは彼女の自由を制限する「枷」となってきたやもしれ ぬ可能性には思いあたらないのでしょうか? 傍目には一見、喜久と、もとい喜々として明るく楽しく朗らかに、日 々の家事をこなしているかに映る−−その内側で、家族みんなの世話を 焼かねばならぬせいで、同年代の女の子の享受しているような愉しみと 縁遠いような境遇に、ひょっとしたら疑問や不満や辛さや悲しみや憤り を覚えることもあるやもわからない。 「かすみさんが怒った」の回は、そのような可能性を示唆してもいた のではなかったでしょうか? あの話の落ちを見て、「なーんだ、結局みんなの早とちりだったんだ。 やっぱりかすみさんは菩薩さまなんだなあ。すごいや!」とのみ結論し てホッとして済ましてしまうのは、あまりにも単純で安易すぎて、一種 の思考停止にも近いものではありますまいか。 ものの表面と裏面。これはかすみひとりに限ったことではありません。 『らんま』(ひいてはるーみっく全般的)作品世界の至るところにキャ ラクターの、物語の裏側を仄めかしているげな描写が存在する。このた びの話で、例の薬箱が(宝石箱と紛らわしく装飾された)二重蓋になっ ていたところなども、作品自体の二重構造性を象徴しているような気が するのですが、いかかでしょう? ただの感想に対してなら、恐らく私もこうもキツく突っこみはしない でしょう。しかし貴方は麗々しく「仮説>」などと銘打たれた。仮説な らばもう少し深く、テクストを読みこんでから樹てていただきたく思う のです(例えば最後の柱の文句のご解釈なども、早呑みこみの見当ちが いにみえます)。 以上、抱いていないでもない、本MSGがご気分を害するやもしれぬ ことへの畏れ以上に強く、あるいは全く顧みていただけぬ可能性ゆえの 空しさをひしひしと感じつつ。 VGJ14895 雨宮 伊都