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#2358/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (MXN30050) 95/11/10 20:25 ( 45) 考察>#2355の補足、発展 kela ★内容 前回の考察の補足と発展です。かなり独断が入っていますので、ヤバイな、 と思ったら適当に読み飛ばしてください。ではどーぞ らんまが目的を持たないことが自由さにつながる、という部分は違和感を 感じるひとが多いでしょう。しかし、「目的を持たない」、ということは 「歴史を持たない」、ということと同じレベルのことなのです。「目的も歴史も 持たない」ということは過去にも未来にも存在の根拠がない、ということです (この「過去」と「未来」とは単なる時間ではなく、現在に対しての意味 ということです)。「目的」というより「将来の夢」といったほうがいいかも しれません。これが「無責任さ」=「自由さ」につながります。 実際らんまは男溺泉につかれば永遠にその存在が消滅します。らんまの自由さは 「自殺を覚悟した自由さ」でもあるわけです。考えてみれば『らんま1/2』とは 「ヒロインを殺すことが作品の最終目的」という結構とんでもないマンガなんですね。 今らんまを「ヒロイン」と表現しましたが、これは「それが存在しなければ 作品世界が成立しないキャラクター」という意味です。 (「主人公の恋人」ではありません) らんまはキャラクターではありませんから「ヒロイン」と呼ぶのは抵抗がありますが、 「見かけ上」キャラクターとして存在しているのでやむを得ないでしょう。 (「殺されるべき、作品の存在根拠」という意味ではRPGの大ボスにも近いものが ありますが、『らんま』では「敵」という概念は中心になり得ないような気がします。 ええ、気がするだけです。) ちなみにキャラクターでなくても「作品の存在根拠」である例はあります。たとえば 初期『ドラゴンボール』の ドラゴンボール 『ジョジョ』第一部の 石仮面 うしおととらの 獣の槍 などが好例でしょう。らんまは、むしろこれらに近いと言えます。 (言えるんだってばっ) らんまがキャラクターではない、ということは乱馬やあかねが実在の人物ではない、 ということと同じ意味です。『らんま』がメタ構造(いわゆる「入れ子構造」)を 持つという説がありますが(「五寸釘ファンクラブ」参照)、私はこの意味で 『らんま』はメタ構造を持つと考えます。らんまは「虚構世界」、つまり 「マンガ」を象徴しているのです。 (この「虚構」は「存在の空虚さ」、というより「乱馬の演じている存在」と 考えたほうがいいでしょう)。 このとき、虚構と現実とをつなぐ存在、らんまを世界に登場させた存在、すなわち 千五百年前に呪泉郷で溺れた若い娘の名は、高橋留美子その人です。もしかすると、 らんまの自由さは「マンガ表現の自由さ」、「現実からの解放」を象徴している けも先生のマンガ論そのものなのかも知れません。(「かも」ですからねーーーーっ) ID MXN30050 kela