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#2371/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 95/11/23 1:55 ( 83) らんま>あかね呪泉郷へ Samwyn ★内容 ふと「あかね」をオンラインの漢和辞典で調べてみたら、「茜」だけではな く「蒐」という字もあったのですね(^^;。前者は植物のあかねだけですが、後 者は加えて「集める・捜す・春の狩猟」の意味があります(^^)。 さて、あかねはどアッサリ泉に落ちてしまいましたね(^^;(しかし、仕返し 人形編の時もそうでしたが、この「あかねの危機」は「悲惨さ」を感じさせま す(^^;。ねぇ、たった1人で見知らぬ土地へさらわれて誰の助けもないまま敵 に追い回されて溺れるなんて(^^;・・・)。やはり男溺泉に落ちたのでしょう か(^^;? いや、今回はいくつもの「不可解な点」があります(^^;。 ・その泉はなぜか竹と草で偽装してあった(そんな上を無心に走るあかね にも 問題がありますが(^^;) ・あかねは「泳げないはず」である。誰がこの泉から引き上げたのか ・あかねの服はきれいなままである。すなわち、大きなものや妖怪・怪物 的なものには変身してないはずである とりわけ問題なのが2番目です(^^;。1番目の「理由」は「キーマはそこにあ かねを落としたかったから」なのですが、もう1つ「あかね以外の誰か・何か に落ちて欲しくはなかった」こともかなり高い妥当性であり得ます。3番目は やはり、あかねの「(さらわれて来て以降のことを)よく覚えてない」点が肝 心でしょう(^^;。 ここで問題になるのは、あかねの不可解な言動が「刷り込み」によるものか どうか、ですね(^^)。それはシャンプーの時と比較してみれば明らかにするこ とができます(^^)。 キーマたちが猫飯店を襲撃したのは日の出前、乱馬たちが迅速に行動したの であれば、シャンプーが卵に封じられたのは「朝食前」です。それからずっと キーマが抱き続けてシャンプーが孵ったのは月も空高い「夜」、公園の時計か ら8時過ぎです。だから、刷り込みの所要時間は12時間です。 一方、あかねが襲われたのは学校へ行く前ですからシャンプーが卵に封じら れたのとおよそ同じ時刻です。青海省付近と東京との時差は約1時間、カラス の飛行速度が不明ですが(^^;、まあ呪泉郷まで1時間として、その時差をクリ アできます、つまりあかねが呪泉郷で溺れたのは朝の8時ごろ。乱馬たちがあ かねを見つけたのは夕暮れ前なので、仮にカラスの飛行所要時間を0にしてさ えも、「刷り込みする時間はなかった」ことになります(^^;(その場合でも刷 り込み完了時間は夜7時になるので、真夏でもない限りは「夕暮れ後」になっ てしまいます(^^;)。 以上を総合すると自ずから出てくる答え、それは「あかね=Samwyn= キーマ」です(^^;。他の場合は、乱馬たちに発見されて以後のあかねの言動が どうしても不可解になります(^^;。 さて、シンクロニシティ群についてですが(^^;、さらにまたいくつかの「可 能性」が浮上してきました(^^)。 1つ、「エヴァ=YHVH」ではないか、という点です(^^;。「YHVH」 とは、その「真の名」自体には恐るべきパワーが秘められているがために、母 音は絶対秘密とされている「燃える柴(ピンク・フロイドの『炎』のジャケッ ト写真の1つは明らかにこれですね(^^))の神の名」で、あまりに秘密にし過 ぎて今はもう誰も知らず、仕方なく「ヤハウェ」または「エホヴァ」と読んで いるものです(^^;(聖書には他にもう1つ、「エロヒム」という呼び方があっ て、意味は「天の人々」とされているようです(^^;。「エル」サレム(神の平 安の意味。アラビア語で「アッサラーム」は「平安を」という意味で、「イス ラム」は「平安な人々」です。つまり、「サレム・サラーム・イスラム」は本 来同じ語です(^^))や、天使たちの名の最後に必ず付く「〜エル」から、むし ろその「エロヒム」の方が本来のものではないかと思われますが−−実際に、 その呼び方の出てくる部分は最古の伝承部分であるらしいと現在では見なされ ています(^^)−−、しかしまたその「エル」は「アッラー」と同じく、定冠詞 に基づくものかも知れません(^^;。そうするとそれは「仮の名」なわけで、や はり真の名は「YHVH」なのかも知れません(^^;)。 もう1つ、「蛇」とは「アダムのあそこ#^^;」であり、「禁断の木の実」と は「エヴァのあそこ#^^;(またはチチ#^^;)」であるらしい、と言うことに気 づきました#^^;。つまり、このエピソードは「それまで神を第1に愛していた アダムとエヴァが、性の目覚めから互い(の肉体)を愛するようになったがた めに、エデンすなわち『神の園』に安らいでいた意識が肉の中に『堕ちた』」 ことを表しているのではないか、と言うことです(^^;。 さてさて、そうして翻って見ると、イエスの十字架の場面に「脇腹を槍で刺 したら血と水が流れた」とある描写があやしいですね(^^;。つまり、イエスは 「女であること」を徹底して、つまりは「エヴァ」を自分と1つになるところ までにとことん極めに極め抜いて、その極め抜きの果ての突き抜けに「エヴァ の『存在』それ自体としての『神』」を直観するに至ったのではないか、とい うミステリウムが浮上して来るのです(^^;(このエピソードはヨハネ書にしか なく、他の3書には「代わりに」「神殿の幕が2つに裂けた」という記述が等 しく載っています。つまり、ヨハネ書の作者は「神殿の幕の裂け=槍で刺すと 血と水が流れること」である「秘義」を知っていたのではないか、と言うこと です。両者が一致して指し示すのは「処女喪失」ですね#^^;。極論してしまえ ば、どちらのエピソードも「記述者の主観的・実感的真実」である可能性が見 えてきます(^^;。つまり、十字架のイエスがあまりにも「女性原理的受容性」 のうちにあったために、「あたかもそうであるかのように思われた」がいつし か口伝えに伝承されるうちに、「あたかも」と「のように思われた」が抜けて しまったのかも知れない、と言うことです(^^;)。 Samwyn