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#2603/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 97/ 4/ 4 1:57 (193) 犬夜叉>物の怪の城 Samwyn ★内容 またも水浴びの場面が出ました(^^)。さらに今回は前ページとの「対比」付 きです。S的には「透け川>助川」とさらに、「服とシャンプー等>滋(上の 部分が『桶に入ったシャンプー等』、下が『折り畳まれた服』、左は以前に書 いたように『ラムのビキニとブーツ』で、服の上のかごめがその対応に置かれ ていて、『かごめ=死=アネット』です)」、またさらに「左のかごめ>之」 です#^^;。その服があるのは「武蔵の国の桜の咲く堤」なので、ここで提示さ れているのは「かごめ=Samwyn」とゆーことです#^^;(ところで、某ナ デシコの某ルリルリの例の「鮭川之を滋する」は見てすぐわかったのですが、 何で「Samwyn=ルリ」かが未だ分からなかったりします(^^;)。 「ブラジャー>ブラザー>Samwynの2人の兄(^^;」、「日吉丸」は、 「日吉>日美(EGB8の変換でちょうど今偶然見つけました(^^))」から、 「=某和彦」。「織田>オデン」「武田>ブタ>ブッダ」(戦国の武田家は、 メジャーな甲斐とマイナーな若狭の2家あります。S的には甲斐の方はKNく んに連なり、若狭の方は天橋立から「高橋」に連なります)。「信長>身長」 から、この少年は「高橋」へとより強く傾きます。彼が織田信長を知っていて しかも「大うつけ」と言っているので、時代は一気に「パーシャル」じゃなく て(^^;「1556年以前の数年間の頃」であることがおおよそ明らかになりま す(^^)(1556年から信長は尾張統一闘争を開始。ほぼ数年で統一し、この 成功で「うつけ」という評価はなくなっているはずです、たぶん(^^;)。応仁 の乱終結から既に70年以上経過、武田信玄は信濃を巡って上杉謙信とまさに 抗争中、北条氏康は1546年の川越夜襲で武蔵を既に制覇(1561年に上 杉謙信は小田原城を包囲しますが一時的攻勢にとどまり、秀吉の関東制圧まで 以降武蔵はずっと北条氏の支配下にありました)。斉藤道三は1556年に子 の義龍と争って敗れ死に、毛利元就は1555年に厳島の闘いで陶氏を破り戦 国大名への道を歩みだします。1554年には甲斐武田・北条・今川の三国同 盟が成立しますが、翌1555年には今川の実質的な軍事指揮者太原崇孚(た いげん・すうふ)が死去し、今川上京に一天の影が差します。その他の地域は なお諸勢力が一国内で相争っている混沌とした状況です。 ただ、「犬夜叉」に見られるような状況の可能性は、「北条以前」でないと まずいと言える程ですが、しかしそうなると織田信長は12歳以前になってし まい、「うつけ」の名声が響き渡るにはちと若すぎます(^^;。しかしまあそれ は「お伽草子」とゆーことで、別に構わないと言えば構わないでしょう(^^)。 しかし、「乱心した殿に家臣たちが粛々と従う」という状況は芳しくありませ ん(^^;。普通、そーゆー場合はかなり早くに家臣団のクーデターが生じて別な 殿にすげ替えられます、特に関東の武士団ならなおさらでしょう(関東では室 町時代から既に戦闘が日常化していました)。「信長軍団は特殊であり、ゆえ に急速に天下を統一できた」ことは大事なことです。信長は家臣に土地や財産 はほとんど与えず、軍団も貸し出す形を取っていたので家臣たちの「経済的・ 勢力的自立性」が非常に弱く、ゆえに安土城建立以降信長が急速に気違いじみ た言動を取るようになっても誰も異を唱えられませんでした。また、秀吉のよ うな存在がポスト信長となれたのも、そうした「家臣に対する大名の超絶的優 位さ」のシステムのおかげです(江戸体制もこれを踏襲することで、室町的な 「弱い将軍」構造を克服できたのです)。他家はすべて「室町幕府型」の構造 で、「個々に自立的な家臣たちの総意の上に押し立てられる大名」という形態 でした。「葉隠」的武士道は、まさに「信長型システムにおける官僚的武士の 哲学的基礎付け」の位相にあり、戦国武士道とは似て非なるものです。 戦国時代というと殺伐としたイメージを思いがちですが、「戦闘が日常化さ れるためには、その疲弊度を上回る活力の増加がなければならない」ことに気 づかれねばなりません。戦国時代はまた同時に「大経済発展時代」でもありま した。「米が増える>家族が増える>耕地拡張の可能性>あぶれた若者たちは 兵士になる」という循環をベースに置く、いわば「超高度成長時代」であった わけです(応仁の乱以前から諸領で家督相続争いが激化していたわけですが、 それは富裕化した農民勢力(諸豪族)による「下支え」が可能になったゆえの ことで、一見単なる同族争いに見えても、本質は「既成勢力vs新興勢力」の 主導権闘争なのです。こうした争いがより下層の人々の「上昇機会」を広く深 く増大させ、そうした「第3勢力」を統合するシステムとして信長軍団のよう な形態−−官僚支配構造−−が必然化されたのだと言えるでしょう)。この点 では「バブル以降」と応仁の乱前後は似ていません(^^;。むしろ、「豊臣官僚 から徳川官僚へ」という「秀吉没後〜江戸幕府まで」に似ていると言えるかも 知れません(高度成長型〜循環成長型への移行)。しかし、江戸幕府が「緩慢 な衰退」を辿ったことからわかるように、「江戸システム」もまた、参考には なれども問題解決の定石たり得ません(^^;。 大体、現在のような「拝金社会」は、東洋では中国明代が端緒ですが、儒教 がこれを解決し得なかったのは現中国でそれが再現されていることから明らか です。日本における社会道徳の暗澹たる衰退も同じ原因、「拝金主義を克服し た社会理念」が東洋ではまだ見出されていないからです。「金こそは力」はし かし「数こそは力」という前提があって初めて威力をふるうのであり、宋代に おける「科挙による市民社会化」と元代における「石炭普及」を端緒とする大 衆社会の登場により準備され、元や清の「遊牧民による尚武政治」という枠が はずれた明代および現代に一挙に開花した「新社会理念」です(ちなみに江戸 から戦前の日本もまた「尚武政治」でした)。 ヨーロッパでこれが避けられ得たのは「諸国相争う」状況にあったからで、 「武と文のバランス」が常に要請されていたためです(従って、ベルリンの壁 崩壊後の現在、ヨーロッパにもまた拝金主義の嵐が吹き荒れる可能性がありま す。英国には貴族による抑えがありフランスにはエリートによる抑えがあるの であれば、最も危険なのはドイツです)。アメリカも大恐慌以降、vsファシ ズム、vs共産主義で「武」に寄っていたのが、やはりソ連崩壊、それとルー ズベルト型福祉国家理念の崩壊によって、「曖昧化した政争点」を軸に拝金主 義がその影をゆっくりと落としつつあります。 「知恵こそは力」であらねばなりません、これは「歴史的・効率的必然」で はなく(それは同時に「動物的必然」です)、「意志的必然」です(これこそ が「人間的必然」であらねばなりません)。Samwynの探求によって、西 洋哲学は「ソクラテスとは何だったのか?」という問いを軸に、その「利害を 超える必然の根拠」の探求の歴史であったことが明らかになり、また、カント ・ヘーゲルとも「その根拠を外に求めた」がゆえに「科学的に否定された」あ るいは「科学的必然に飲み込まれてしまった」のでした。しかし、よりよく見 れば、カントの発見した「因果律(時空)を超越した『理念』世界」にヘーゲ ルが打ち立てた「究極根拠=絶対知」はショーペンハウアーによって「絶対知 =意志」とより精解され、さらにSamwynの「意志は現実に呼応して反動 的に引き起こされる『過去と現在との軋み』である」読みによって、「意志を 研ぎ澄ますこと=現実をより正確に把握すること」から、「道徳の究極根拠は 自己知・自己研鑽である」こと、すなわち「人間において過去と現在とは相互 否定しつつ未来を紡ぎだす」という「純粋弁証法」こそが要なのだ、と結論さ れたのでした。ここでは、「絶対知=かくあるべきおのれ」であり、また「絶 対社会知=かくあるべき社会」なのですが、それは常に過去と現在との3D的 ずれから浮かび上がる「無根拠なゲシュタルト」であることは常に注意されね ばなりません。「現在」が流れる川のように無常なのであれば、その「かくあ るべき」もやはり無常であり、逆にその「千変万化」であることが「個の自立 性・唯一性」を保証するわけです。ここにおいては、「妄想」ですらもまた1 つの「その『個』を理解するための道」であり、すなわちその「純粋弁証法」 にかかれば、この世に無意味なものは何1つありません(^^)。この過程におい て「現存在世界への鋭敏さ」は自ずと養われ、それが「普遍性」を最低限確保 します(プラトンの究極の問い「ソクラテスとは何だったのか?」の、これが 答えであり、ゆえにまた哲学の究極の答えでもありましょう(^^)。「無根拠に よって立つ有意味性」はすなわち「聖・空・無・道」であり、ここにおいて、 「あなたが意味を付加するがゆえに」「万人是聖人」なのです(^^)(つまり、 「あなたにとって彼らは聖」なのであるがゆえに「万物道を語らざるもの無」 と言うことです(^^)))。 さて、この「変な殿様」は「城・白・片目」の姿を取りますが、しかしそれ は「偽り」であり、「黒真珠」がその本質です。「たまごっち」「コギャル」 からそれは「和」すなわち「日本」であり、「ご病気」はバブル崩壊、「お太 り」は「屋根だけがどんどん重くなりつつある」こと、「声が変」は「日本語 がおかしくなって来た」ことです(^^;。Samwynの思想では「言語の意味 構造=社会の秩序構造」であり、それはフラクタルに個々人から国家レベルま で「繰り返される」ものです(システムの効率性のため)。 上記したように、戦後の高度成長を支えた「ロゴス」は「尚武」でした。そ れが「戦後安定社会に育った『絶対平和主義者』」群とコンフリクトを引き起 こすのはむしろ必然です。その主軸は「団塊世代」。なぜなら、この世代ほど に「数こそは力」を徹底できる世代はないからです(コギャル(の売春等)と いう現象は、大人が買わなければ成立しないのですから、問題の根は現在日本 社会を動かしている主力世代にこそあります)。数が多いだけに、「自分1人 ぐらい」という発想がおそらくは染み付いてしまっているのでしょう(^^;。つ まり、この世代の特徴は「集団の大きさに反比例する個の価値の低さ」であり かつまた、そのような「運命的呪い」から必死にもがき抜け出さんとする「暴 走傾向」です。「衆に頼んで秩序を軽んじる」面は「悪」ですが、これはまた 同時に「旧弊を打破し新秩序を打ち立てる」可能性でもあります(^^)(学校の イジメ問題も、やはり教師の無意識的振る舞いに垣間見えるかような価値観が 問題の根である可能性が多分にあります(^^;)。 いずれにしろ、今見える日本人の「汚面」は「徹底的な甘え傾向と自立性の 無さ」で、これまた「親の影響」の可能性が大です(^^;。子供たちが「相手が 傷つくのを決定的に恐れる」のは、「自分も含めて彼らがあまりに甘やかされ 過ぎて育ったために、傷つけられるとどうしてよいかわからずに感情が暴走し てしまう」のを互いに知っているからで、それなりの賢さと言えます(^^)。ま た、若者の「無感情に悪を為す」傾向も、「感情を自分でも具体化できない」 ためで、ちなみにSamwynも「悔しさ」という感情が「具体化できない」 言い換えれば「統合された1つの感情として把握できない」欠如があることに 気づきました(^^;、それからの類推です(^^;(それに連なるような個々の筋肉 の動き等はおそらくにあっても、それを1つの具体的感情として統括し、その 意味を見出す、ということが出来ません(^^;。こうした傾向の治療は、おそら く「演劇的な感情習得」が効果があるでしょう(^^)。ちょうど英語を習い覚え るように、感情もそのように改めて習い覚えて行くのです。幸い、TRPGを 使えば演劇的場の素材にはこと欠きません(^^))。 「寂しさ」は「閉じていること」の反動です。「閉じこもる」のは「期待と 現実がずれ」て、かつ「その接点が見出せない」時です。「親子関係」を「外 社会」に見出すのは難しく、「1人っ子」の一般化は、社会と家庭の2つの秩 序構造を断絶させてしまうと言えるでしょう(^^;。現代の日本社会では、子供 向けの話は夢ばかり語って子供が真に必要とする「家庭だけでは補えない経験 とその対処法」を語りません、しかしまた、「父(ほとんど不在)・母・子」 という秩序構造のみに依拠する者に「別な秩序構造」を「リアルさ」を感じさ せつつ語るのもまた難しいことです(^^;。この意味で、せらむんとは「母と自 己同一化しつつ『父』を探求する」ものであり、エヴァンゲリオンもまた同様 です。サザエさんが異化され(カツオの死だとか(^^;)、ちびまる子ちゃんが 代わりに入るのは「父の不在性=ロゴスの現実からの剥離」の相があって初め て「リアルさ」が得られるからでしょう(^^;(魑魅魍魎たる現実、という視点 から、サザエさん伝説やドラエもん伝説(のび太は実は交通事故で植物人間と なって、すべてはその夢だった等(^^;)も「読み替えられて」いるのですが、 ちびまる子ちゃんはその「魑魅魍魎さ」をむしろメインに据えています。それ はエヴァンゲリオンにも共通し、せらむんは「元来ヒーロー物の読み替え」で あることで共通します)。閉じた狭い安心できる空間とそれを取り囲む異様な 理解し難い現実、ファミコンも「TVの中」というイヤになるほど知り抜いて いる「狭い空間」を通じて、「居間」というこれまたどうしようもなく「自己 同一化された空間」から、「ROMの中」という「読めない世界」を探求する ものです。その「新世界」は奇抜な冒険に満ち、かつまた「友人との会話」を 通じて「1つの普遍世界」となり、その「リアリティ」は「伝説・神話」とし て回収されます。それは現代の「昔話をしてくれる爺婆」なのです(^^;(狭義 の昔話は、その多様化によって逆に「会話における普遍的神話位置」を失って しまいました(^^;。しかし、「手本としての神話」の必要性は、これは人間に 普遍的なもので、相変わらず在り続けます。大人たちが時代劇や野球にそれを 見出すように、子供たちはアニメやTVゲームにそれを見出しています、ある いは、必要なら学校の怪談や口裂け女のように自分たちで作り出してしまいま す(その方が本質的な需要と合致しやすい))。 さて、ところでまた、最後の絵からわかるように、この「卵たち」は「受精 前の、Xのみのそれ」で、ゆえに「城=子宮」へと転じます(マージナルのよ うに「子宮が考える」と言うと責任転嫁が生じやすいので危険です(^^;、「子 宮は要求する」がより現実的な見方です)。この意味では今回の話もまた「結 羅」シリーズの変奏で、「露姫」は「ロキ」において「ニーベルングの指環」 の「ローゲ」すなわち「炎」であり、「=フレイア」です。「変な殿様=日本 =某和彦=けも先生」の混乱はイズァローンにも見られ、「ルキシュの疑心暗 鬼=ゼータ」です。「白=4・6=四谷・朱美=惣一郎・響子」であるがゆえ に、「黒=白の逆=6・4=虫=五代裕作=虹=高橋(^^;」になるので、たぶ ん「露姫=Samwyn」となるでしょう(^^;(「露>汁>じゅ」で、「じゅ 姫>滋之」ですか(^^;)。いや、もちろん「S的世界」での話ですが(^^;。 Samwyn