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投稿日時:1997/ 5/30 3: 6 投稿者ID:QKM33822
#2652/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (QKM33822)  97/ 5/30   3: 6  ( 85)
犬夜叉>助けてやるが…  Samwyn
★内容
 「マザー・キラ」が「死んだ赤い海」に溶け消えたことは、「留美>ルビィ
>赤」の「卯美>海」から「滋」の四魂の玉が「留」の田に収まることを意味
し、また「マザー・イライザ」の否定から、「母としてのけも先生の否定」と
同時に、「田を卯(耕し作る)する者が『美子』」および「滋=女陰#^^;」の
確定をも意味します(^^)(ジョミー・マーキス・シンが「流水」)。

 マザー・イライザの否定は「鉄砕牙」のS的考察における「交響学的展開」
にまず相当し、「目の見えない」グリンジャは「耳で見る」ので「交響学的存
在」、そしてアシジンの額の月は、流水の敗因となった月食と同じ、「月のも
のを持つ者」の意味です(流水は月の影響を強く受け、流風はほとんど受けま
せんでした。つまり、流風は「血を流さない女」すなわち「音子」だというわ
けです)。マージナルの長官(マルグレーブ)は「白子」から「之」。これは
Samwynのこれまで立っていた「真実は結局は(見えなくても)1つ」と
する観点が「マザー」すなわち女性的価値観そのものに他ならず、そしてその
否定が「キース>イシス」の変化をもたらすことを告げています(「キーする
>意志する」)。

 アネットとジルベールの最後は「死・腹割れる>支払われる」。またさらに
「Anet Forken」は「fork>音叉」から「=囚われのミラ」で
あり、「音叉>恩赦」から「¥という音叉で解放される」ことを示します。こ
れはまた「入れ歯(櫛)に刺さった矢」(^^;。「ハ=C」から、「Cな高橋」
は「某和彦」となり、「入れ歯に刺さった矢」は「彩」すなわち「A・ラ」。
「C as 美子」は「Samwyn=アラゴルン」の見地であり、そこから
「ラ取り」すなわち「矢を抜く」とは「ち○ち○#^^;噛み千切り」(^^;。

 「マザー・イライザ」の背後に現われる「声」は明らかに「アニムス」であ
り、しかしそれはキースに「価値観の多様性の意義」を明らかにします。これ
は「惣一郎さんへのさよなら」に他ならず、「バスケット>馬介」の返しであ
る「助川姓の失い」はまた同時に「透け皮の破れ」すなわち「処女喪失#^^;」
です。縦に書かれた「滋之」は「か弱い草花」であり、「花=女陰#^^;」はま
た「レクイエムを歌う楽器」でもあります。

 裕作の「惣一郎受け入れ」は「価値観の多様性の容認」ですが、響子はあく
まで「それでも真実は1つ」ということにこだわります(^^;。しかし、これは
正しい。なぜなら、「多様性の受け入れ」とは「真実は人の数だけある」こと
の受け入れであり、響子にとっての真実はあくまで「1つ」だからです、また
そうでなければ「その『真実』は容認するに値しない」のです。1個人がおの
れの命をかけて1つの「真実」を貫き通す時、その「真実」は「命と等価値に
なる」のであり、すなわちその人の人生そのものを表わす「キー・ワード」と
なります、かような「真実」であればこそ、あえておのれの立場を相対化して
受け入れるに値するものなのであり、その時、この「受け入れ」は「愛」に他
なりません。おのれの「絶対化」が他者をも「絶対化」するのであり、またこ
こにのみ「対話」の意義があり得ます。それは他者を説き伏せることではなく
て、他者の「人生」を理解することでおのれの「個」をより厳しく研ぎ澄まし
て立てることであり、その相互性のうちに「契約」が「命にかえても守るべき
もの」として立ち現われます、なんなら、その「裏切り」は「おのれの弱さ」
をこそ露呈するものであり、「おのれの真実をおのれ自身の手で無価値化する
こと」に他ならないからです(この時、契約の「絶対化」は「個の絶対化」を
喪失させるので、「更新性」が常に配慮されねばなりません。再度の対話によ
る契約の更新は、契約に対して常に誠実であろうとすることから来る必然的事
項です)。
 おおよそ、2者の「真実」が衝突するのは、その「真実」を実現させるため
に必要な資源の「重なり」から生じます。この際の肝要は「どちらの見方がそ
の資源をより有効に活用できるか」であり、すべての戦いは結局これを力で決
することに他なりません。文明が「単一性」へと進行したのも、「資源の有効
活用」が物理的法則によってスケーリングできるからに他なりません。しかる
に、「多様性の容認」の見地に立つならば、資源がより有効に活用できるから
と言ってそのために1人が犠牲になるのならば、その「有効性」は「相共に立
つ」場合よりも「低い」ことになります。世界の「狭くなったこと」がもたら
した最大のメリットは「漁夫の利の生じる可能性の飛躍的な増大」であり、こ
こに「2大政党制」を旧とするベクトルが働いています(個々の議員たちが漁
夫の利を貪るため)。「相共に立つ」ことは交響学的展開を行うことであり、
それは構造のトートロジーを得ることで「新たなシステム」を相互間に樹立す
ることです(得られた構造のトートロジーそのものが既に新たなシステムなの
です)。

 あたるの「角」を「角隠し」とし、ラムを「ウエディング>上でNG」とす
れば「あたる=和」「ラム=西」。最終話のあかねの移行もこれに添うわけで
すが、しかしこれは「ラム襲来=黒船襲来」から「あたるの角=2つの原爆」
を通じて「最後の鬼ごっこ=太平洋戦争」となり、既に成就し終えた構造です
(「けも先生=ラム」「Samwyn=あたる」という追求が戦前の日本への
回帰を促してしまうのはこのため)。実際には、「あたるは角を隠しそこねて
いる」のであり、「ラムはNGを貫き切れなかった」のですから、まさにその
話中において既にその構造は否定されています。「あたるの手をおのれの角に
添えるラム=角隠し」「最後までNGを貫き通したのはあたる」ということで
この構造は逆転し、「あたる=西」「ラム=和」となります。しかし、より厳
密には「ラム襲来=黒船襲来」が破れてしまうので、この対応そのものが「無
意味」として捨てられます。真の対応は、「両手の角とゼッケン4>留」にさ
らに「あたる自身のもの#^^;>美子」、「2つの角と2つのチチ#^^;>滋」そ
のラムを地上につなぎとめる「錨>之」で、「之>スー」が「角隠し」であり
また「惣一郎さんへのさよなら」となります(^^)(ラムの角からわかるように
「之>スー」は一時的変化で、「スー」と「子」と重なって「不二」となるこ
とを示します)。

Samwyn
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