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投稿日時:1998/ 3/28 22:24 投稿者ID:QKM33822
#2844/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (QKM33822)  98/ 3/28  22:24  ( 73)
犬夜叉>第66話、など  Samwyn
★内容
 今回と前回の話は床屋でゲットできた。相変わらず誌の方を継続的に買える
物理的環境にはなく、また立ち読みは心苦しいので何かしらは買うという前提
がある場合にのみあるいは可能であって、しかしながら安い雑誌をもその対象
とするのはなおさらに心苦しく、ゆえにこれはありし時の継続的再開を意味す
るものではないが(なお、コミックス第5巻の感想は「桔梗は超低血圧女なの
であったことよ」もしくは「かごめの二日酔いの影響を受けにしからん」等と
言うことに尽きようか)、同じく床屋でたまたま見聞し得た殺生丸の百匹斬り
(すなわち、この間は1ヵ月以上もかかっていた、ということになるのだと思
われるのであれども)とも合わせておそらくはこれなることとも思えここに一
度参った次第なのである。

 百匹斬りをガッツの100人斬りに置けば鬼蜘蛛はグリフィスと言うことに
なり、ゆえに桔梗はキャスカ、またかごめは妖精パックと言うことになろう。
さて何の話かと言えば、「ベルセルク」のことである。

 それについてはそれらコミックスあるいはアニメ(あと1回で終わるのであ
れど)を参照して頂くのはいかがなものか、と言うことにおいて、ここでは1
つのS的な問いを発してみたい。
 私にあって、「ベルセルク」という作品中で2ヵ所どうしても理解できない
ところがある。1つは、グリフィスの「今お前に肩をつかまれたら俺は」とい
う独白とその後の「叫び」および「血涙」との論理的飛躍であり、今1つは同
じくグリフィスの「お前だけが俺に夢を忘れさせた」と「捧げる」とのほぼ同
質であるように見える、ようするにこれら2つの「論理」の「裂け目」のこと
である。
 言い替えるならば、私はこの「肩をつかまれた>血涙」また「夢を忘れさせ
た>捧げる」の論理的接続が『まるで』理解できないのである。否、私にはこ
の2つの言明は結局、ただ単に「責任転嫁」の美言化であるようにしか、少な
くとも現在においては見えて来ていない。しかし、この作品の重さを配慮する
ならばここにかような単なる責任転嫁的自己弁護が入り得るとも思い得ないの
であれば、おそらくこの2つの「裂け目」には、むしろ翻って私においてこそ
決定的に欠けている「何か」、おそらくは世界観のてこ点的なるものが開示さ
れているのではないかと推定される。

 かくして、私はこの2つの(少なくとも私にとっては)「論理的飛躍」を埋
める「考え方」の提示をこのシンクロニシティを主宰する「意志」に要請せね
ばならないのである、さもなくばその「意志」と私とは半永久的に平行線を辿
るに相違なかろうことが予想されるのであれば。さもなければ、この「意志」
に「対話的意図」はないものと看做す他なく、ゆえに外部的観測と構造化から
そのベクトル方向を推定しそこから翻ってその「意志」それ自体の諸運動を明
らかにするしかあるまい、と仮説するしかないように思われる(例えて言うな
ら、アリと人との「対話」可能性を検討されたい。直接的には不可能でも、人
がアリの諸行動等を構造化することで「彼らが何をしようとしているか」は推
定可能と仮説され得る)。

 ここにおいて重要なことは、かくあればこそより厳密な論理性が要請される
と言うことである。認識は物理的・感覚的なものであれ抽象的なものであれ論
理という自己表現を通じて立ち現われる。言い替えるならば、もし今誰かしら
がおのが論理を否定したならば、彼はもはや一切を認識できない。逆に、彼が
何であれ認識できるのならば、既にそこに論理が立ち現われている。従って、
この「一見」不条理は実は「不条理を装った論理」であって、さらに突き詰め
れば「己を絶対化せんとする論理の極限の姿」をただ端的に指し示しているに
過ぎない。しかしながら、私の意見としては、「認識の道具あらざる論理は既
にその『認識否定』を通じて己自身をも否定してしまっている」のだと言うこ
とになろう。
 無限を含まない論理、すなわち「同値論理」の完全性は、無限を含む論理の
不完全性を証明したその本人によってその約1年前に証明されている。従って
今ここで問題となり得るのは、さきの「極限論理」が無限のメタ制限を拒絶し
ているところにある。その歩地はヘーゲルまで遡る、既にして「時代遅れ」な
ものに過ぎないのにも関わらず、それが今強烈なシンクロニシティを(少なく
とも私の周辺には)振り撒きつつのたうち回っているのである。そもそもまず
第1にこの「時代錯誤さ」が私には理解し難い。それは明らかに「共産主義」
(ただし、ヘーゲル−マルクス系のそれに過ぎないのではあれども)の亡霊を
背負っている。ゆえに今仮にそれを「マルクスの怨念」と名付けてもそれほど
離れてはいまい。

 なぜマルクスがこの世を呪うのか? 彼は地獄の王となったのであろうか?
いずれにせよ、かくしてグリフィスを「マルクスを指し示す記号」と看做すこ
とが可能となるのであれば、その非現実性にも関わらずこの発想の「有効性」
は充分な価値、問題解明に資する特異点としての価値を保持していると言える
であろう。そして、この記号体系はおそらくに「犬夜叉」をも拘束するに違い
ないのである。

Samwyn
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