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#2845/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 98/ 3/30 18: 0 ( 53) RE#2844 犬夜叉>第66話、など・補 Samwyn ★内容 先にあげた問いの答えが自ずと明らかになって来たようなので、質問した手 前もあってそれもまたこのSIGに掲載したいと思う;先に書いたように最近 の「犬夜叉」中には「ベルセルク」との関連を想起させる要素がいくつか現わ れているわけで、まったく「犬夜叉」と関係ない話題なわけではないのである 点でご容赦願えれば幸いと思ふ。 さて、問題解決のキーとなったのは、それらのセリフの前にグリフィスが舌 を切り取られていること、また肉体は(魔王として)復活したにもかかわらず フェムトとしてのグリフィスはまったく一言も音声を発していないこと(口は 常にグッと堅めに閉じられ、その代わりに目で語ろうとしているように思われ る)、そしてまた、私はホームページ上の考察でグリフィスはキャスカのアニ ムス的位置にあるようだと見たのであるが、そのキャスカが同じく最後にはう なり声だけで会話不可能状態になっていること、のあたりである。 これらの諸要素が形成するモビールの上にあの2つのセリフを置いて見れば もはやその「真に言わんとしたこと」はかなり明瞭になる;「もう言葉が通じ ない」と言うことがおそらくはその文内在の論理の超越的飛躍によって語られ ていたのではないか、と言うわけである。 「語」の意味は曖昧であって文脈によって限定される、と言うことが、ベー シック・イングリッシュばかりでなく老子や禅でも言われていたことの真意で なければならない、さもなければ彼らの「語る」ことそのものがもはや無意味 なたわごとに過ぎなくなるのだから。ゆえに、「言葉が通じない」とは「背景 的文脈が一致しない」と言うことに他ならない。なるほど、確かにグリフィス のあの2つのセリフは、1つの文としての一義的であるべきその文脈が途中で 飛躍することで、その前後のすべての語の意味がバラバラに飛び散ってしまっ ていると言えよう;理解できないはずである。 ここに見られるのは、従って「背景的文脈の不一致」に気付かない人々、な のであり、言い換えれば「語−意味対応の絶対性」になんら疑問を持たなかっ た人々が直面するに至ったその絶対性の「相対化」だと言うことになろう。か ような「信念」は言語と民族と社会が一致するところでのみ可能なのであるか ら、この問題は明らかに日本人を対象にしていると看做せる。 背景的文脈とは具体的には何か、と言うならば、それはおそらく「価値観」 であり、さらに具体的には「その人が何を求めて会話(的行為)を意欲するの か」ということになろう。私はここでそれらがエゴ・イド・スーパーエゴ間で 異なっているためにその各々に立つ人々の間ではコミュニケーション行為が成 立しない、という仮説を思い出す。わかりやすく言えば、子供的立場に立つ人 ・大人的立場に立つ人・社会的立場に立つ人、の間では、その各々のよって立 つ立場への気遣い(念頭に置くこと、の意味で)がないとまともな会話が成り 立たないのである、また、会話がスムースに進行するためには一方が他方の立 場へと一時的に移行せねばならない、だそうである。 この先についてはここでは問わない。ただ、言えることは、英語特にアメリ カでは子供的立場にはおおよそ否定的であり(大人は子供に対しても他の大人 に対するのと同じように話す)、一方日本ではかなり好意的である(私にはそ うした話し方は子供をバカにしているように見えるのだが;大人がそんな風に 話しかけられたら怒るに違いない。このあたりに日本語の弱点−−差別性をふ んだんに残していること−−が起因しているのかもしれない)、というあたり であろうか。 Samwyn