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投稿日時:1994/ 1/ 8 7:42 投稿者ID:QEG72756
#1296/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (QEG72756)  94/ 1/ 8   7:42  (113)
感想>「専務の犬」に思わず震撼。   飛鳥 杏華
★内容

 こ、これはすごい。(^_^;) オリジナルに掲載された「専務の犬」ですが、けも
さん、年明け早々(描いたのは年末でしょうが)強烈ですねぇ。タイトルの「犬」
は、もちろん戌年にもちなんでいるわけですが、私はなんとなく「対・同人」とい
う内容を予想していました。が、ここまで強烈なものが来るとは思いませんでした。

 何といっても、ひな子先生(アダルトヴァージョン)の登場でしょう。どう見て
もあのカンナはひな子先生です。「何だ、けもさんキャラデザインに詰まったのか
?」なんて思った人もいるかもしれませんが、違いますね。わざとやったんですよ。
いや、むしろひな子先生そのものであることに意味があるんです。ひな子先生でな
くてはならなかったと言ってもいいかもしれません。

 まず、舞台となった小暮家ですが、この一家は何を示すのか? それは、けもさ
んとそのファンの集まりであると言えるでしょう。そこに、犬を連れて祭田専務が
やって来る。この「犬」と「祭」という組合せ、こんなところにも実に巧みな暗喩
があるのです。

 この組合せは、暗にコミケを、そしてそこから同人を示唆するものと言えます。
民俗学者の大塚英志氏も過去に指摘していますが、コミケに参加したことのある者
ならば、あの空間がまさに「まつり」の空間であることを体感できるでしょう。

 そして、「犬」(フットワーク)…。コミケカタログにも登場し、偽フットワー
ク袋が人気を呼ぶ昨今、「犬」(フットワーク)はコミケを象徴する存在となって
いると言えます。

 私は、「専務の犬」というタイトルが明きらかになった時点から、

  「犬」→「フットワーク」→「コミケ」→「同人」

という連想をし、今度の作品が「対・同人」という指向であろうと予想していたの
ですが、この「犬」と「祭」を組み合わせて登場させることによって、けもさんは
コミケを、そして同人を表現してみせたのです。

 さて、この犬(ゴージャス)は、その家の大将を見極める力を持っています。こ
れは何もこの犬に限ったことではないでしょう。が、この作品におけるゴージャス
の目というのは同人の目。すなわち、漫画・アニメ界における大将を見極める同人
の目を象徴しているのです。

 ここで重要になってくるのが、突然登場(乱入)した祭田の愛人(妻でなく、愛
人というところがまた皮肉っぽいのですが)カンナです。先程書いたように、この
キャラのデザインは、まさにひな子先生そのものです。けもさんの画力からして、
新しいキャラをデザインしきれなかったとは到底考えられません。多少似ていたと
しても、ここまでそっくりというのには、何か意味があると見るのが正しいでしょ
う。

 コミケ、漫画・アニメ界の大将を極める同人…、と来ればそう、現在の大将「セ
ーラームーン」を表す存在にほかなりません。だからこそ、キャラデザインがひな
子先生そのものであり、まさにそのことにこそ意味があるのです。私は以前から
「ひな子先生=セーラームーン」という説をとってきましたが、今回はまさにそれ
を世間に公表しているかのような展開と言えます。なんと、ご丁寧にセーラー服ま
で着せているではありませんか…。

 このカンナの登場によって、それまで小暮夫人になついていたゴージャスが、一
転してカンナにすり寄ってしまいます。これはすなわち、それまで、けもさんを大
将と認めていた同人が、「セーラームーン」をより強力な大将であると認め、そち
らにすり寄ったという状況を写したものです。ここにおける、「こっ、このバカ女
がこの家の大将だっていうの〜!?」という小暮夫人の心のつぶやきは、まさにけ
もさんの心情そのものと言えるでしょう。

 しかし、最初はけむたがっていた家族(るーみっくファン)たちも、徐々に手な
ずけられて行き、ついには小暮氏(いい大人)までもが「結構いい」とカンナ(セ
ーラームーン)に引きつけられて行くのです。ここにおいて、息子・甲介の服の胸
に「R」の文字があることも見逃せないところです。

 ただ、ここで注意して見なければならないのは、カンナが根っからのいやな女と
して描かれているわけではないという点です。物などで釣ったとはいえ、子供たち
に好かれ、小暮氏にも「結構いい娘」と感じさせた様、小暮氏の分のすき焼きの肉
がなくなってしまうのを心配している様、そしてラスト付近の様子などを見れば、
けっしてどうしようもなくいやな女ではないとわかるでしょう。

 これは、確かに「セーラームーン」は、けもさんにとって漫画家としての地位を
揺るがすいやな存在ではあるのですが、作品として全く悪いというわけではないと
いうさり気ないフォローなのかもしれません。

 さて、祭田夫人の登場によってもたらされたこの作品最大の危機を救ったのは、
小暮氏でした。ここまでの小暮氏はいつも周囲の言いなりで、夫人から見て「わが
亭主ながらなさけない」という存在だったと言えます。これは、周囲に影響される
一方で、自らの意見を持たず、自ら作品を読もうとしない、けもさんから見て「わ
がファンながらなさけない」という読者の姿を写したものだと見ることもできます。

 その小暮氏が、家族と我が家を守るために大風呂敷を広げてみせた…。これを読
者に置き換えてみると、周囲の言動に惑わされず、自分の解釈で作品を読み、(大
風呂敷かもしれないが)自らの意見を発した行為ということになります。この行為
こそが現在、そして将来のるーみっくわーるどを救う手だてになるのだという図式
が、なんとなくそこに見てとれるのです。

 だからといって、読者の側に一方的に「盛り上がれ」と要求しているわけではあ
りません。けもさんもまた、読者に読ませるために作品の裏に潜む意味をプンプン
と匂わせてきているのです。

 特に、最近になってその傾向は強まっていると言えるでしょう。つい先日の「ら
んま1/2」の「公紋竜編」などは、それまでの匂わせ方とは違い、かなり裏の意
味を発見しやすいように描かれていたように感じられました。あたかも、これを嗅
ぎつけた読者に代弁させることによって、周囲にるーみっく作品の質の高さが知ら
しめられるのを期待し、かつ、狙っているかのように…。

 そう考えたとき、もしかしたら私はけもさんの巧みなシナリオの上で踊らされて
いるのではないかという思いに、一瞬、悪寒を覚えたのです。かつて、批評系同人
等からの批判に悩まされたけもさんが、今度はそれを逆利用して自らの作品の質の
高さを周知させ、認めさせようと試みているではないか? もし、これが正しいと
したら、私はさしずめ「けもさんの犬」ということになるわけですが…。(笑)

 ラストで、祭田はカンナと別れ、犬は小暮家に引き取られます。これが何を意味
するかはわかりますね。やがて、「セーラームーン」が終わり、コミケ(同人)が
「セーラームーン」から離れたら、またるーみっくが同人を引き受けるという図式
です。

 もちろん、そんなにうまく行くとも思えませんが、そういう土壌を培って行くの
が、我々の役目と言えるのでしょう。そういう意味で、けもさんは私などのしてい
ることを少しは見直してくれたと考えていいのでしょうか?


                    QEG72756   飛鳥 杏華
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