SIG るーみっくわーるど SIG るーみっくわーるど」は、漫画家 高橋留美子先生(るーみっくわーるど)の作品が好きな仲間が集まっているグループです。 るーみっく好きなメンバー間コミュニケーションのためのチャットや掲示板の提供、るーみっく系イラスト・小説・リンク集の公開などを行っています。 オフ会も不定期に開催されています。1992年6月にPC-VAN上で誕生した歴史あるグループです。
ホーム | About | 新着・お知らせ | フォーラム | ライブラリ | チャット公開ログ | メンバー紹介 | リンク | Copyright
投稿日時:1994/ 1/25 23:17 投稿者ID:QKM33822
#1384/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (QKM33822)  94/ 1/25  23:17  ( 81)
BD大会>BDの構造・追補 SAMWYN
★内容
  ☆チャイムについて
 冒頭の「針のない大時計が鳴らす3回のチャイム」と、エンディングの「針
のある大時計が鳴らす3回のチャイム」の他に、チャイムはあと2ヵ所で鳴っ
ているのですが、その2つもまた対応しているらしいことがわかりました(^^)
。

 その最初の方は、おそらくそこが時間的・ストーリィ的にBDの折り返し点
にあたると思われるのですが、あたるたちが4階校舎から脱出する間際、それ
までかかっていた「故障中」の札が落ちて、大時計に針がないのが判明する場
面です。ここではチャイムは「2回」鳴らされます。

 後者はもちろん、最後の最後に鳴る「5回」のチャイムです。この時、針は
「7時」を指しており、チャイムの数が「2回」足りないのですが、その「2
回」が上の部分へ飛んでしまっているわけですね(^^)。

  ☆大時計の意味
 大時計は、前半は「故障中」なわけですが、後半部との対応およびラストで
は針があることから考えて、前半は「針がある」状態、後半は「針がない」状
態を表現していると取ってさしつかえないものと思われます(^^)。

 当時から、うる星やつらには「永遠の夢」を望むファンと、「あたるとラム
の愛の完成」を望むファンの、2大流派があったのであろうと私は推測するの
ですが、この2つの大時計は明らかにその「2つの主流的うる星やつら観」を
表わしています。つまり、方や「時間的発展」を望み、方や「無時間的永遠」
を望んでいたわけです。そして、このBDの展開および、映画公開直後に押井
監督のもとに来た手紙のほとんどが「なぜラムとあたるをキスさせなかったの
か」という内容のものであったらしいことから考えて、前者が最終的に優勢に
なったものと思われます。

  ☆BDにおける批判
 押井監督はこのBDでそうした流れを巧みになぞって見せたわけですが、押
井監督ご自身はどちらにも疑問を抱いておられたようです。それで、BDの中
では両者はまったく同じ比重で扱われています。いや、それどころか、両者は
同じ1つの何かの表と裏に過ぎないのだ、とすらされているのです。

 さて、問題は、その批判がどの程度深刻なものなのか、ですね(^^;。一番軽
い取り方では「どっちも同じうる星じゃないか、お互い攻撃し合ったり批判し
合ったりせずに、結局何だかんだ言ってもみんなうる星が好きな人たち同士、
仲良くやろうよ」になります(^^)。一方、もっとも深刻な取り方では「みんな
うる星をネタに勝手に盛り上がっているだけで、誰もそれが本当のうる星なの
かどうか知りたいとすら思わないのだ、そんなのは本当のうる星なんかじゃな
いぞ!」と、かなりニヒルなものになってしまうのです(^^;(今まで私が仮定
的テーマとしていたのがこの読み方です(^^;)。

 おそらく、すべてのうる星やつらファンは前者であって欲しいと思われるこ
とでしょう(^^;。結局、どっちになるかは当時の押井監督がどのような状況に
置かれていたかでほぼ決まるのですが、ラストの夢邪鬼ののんびりした感じか
らしても、押井監督は、少なくとも「この批判さえ受け止めてもらえればすべ
ては良い方向に変わるだろう」と、BD完成直後は思われていたように私には
感じられます(^^)。ところが・・・

  ☆BDはマンダラである
 先に書いた手紙のことからもわかるように、それはあまりに楽観的な期待に
過ぎなかったのです(--;。押井監督が当時置かれていた状況の深刻さは、はか
らずもBDの構造そのものの中にありありと表現されているのです。

 BDはとても美しいシンメトリック構造を持っています。あたかも結晶のよ
うな、あるいはマンダラのような−−−ところが、ユング心理学では、誰かが
そうした構造を作るとすれば、そうした構造を作ることで心理的満足感を得ら
れるのであるならば、「彼は発狂寸前の極めて深刻な危機的精神状態にある」
とみなされることになるのです。つまり、BD製作時の押井監督はそこまで追
い込まれていたからこそ、BDのような美しい結晶を作り出すことが出来たの
です。

 「良い方向」にさえ変わっていれば、押井監督もBDを補償する作品を作れ
たことでしょう。しかし、事態はまるで変わりませんでした。否、むしろファ
ンの対応は、押井監督をしてアニメうる星やつらを降りることを決意させるほ
ど(あるいは、そうした勧めを受け入れてしまえるほど)に「救い難い」もの
だったのです。
 そういうわけで、補償されずに残されたBDは結局、「もっとも深刻なもの
ですらまだ甘いと言えるほどに」致命的なファン批判を内包することになって
しまったのでした。

  ☆終わりに
 最後のチャイムは「誤解」を示し、そして中心点の2度なる大時計には針が
ない−−−「永遠の誤解」、それがうる星やつらの最良の映画であるとは、何
という皮肉でしょう。もちろんBDはただの「楽しい映画」としても一級のも
のではありますが、その陰には押井監督その他の方々の壮絶な苦闘があったこ
とを忘れてはならないと思います(;;)。

SAMWYN
前の投稿:#1383 BD大会>RE#1366 RE*2_2:話題のキス(?)シーン  NIFTYより
この投稿:#1384 BD大会>BDの構造・追補 SAMWYN
次の投稿:#1385 BD大会>RE#1383 RE*2_2*2:話題のキス(?)シーン  NIFTYよ

フォーラム過去ログ一覧へ戻る

Copyright © 1993-2005. SIG るーみっくわーるど
このページにある投稿文章は、各投稿者に著作権があります。
このサイトで公開されている全ての文章・画像などを許可なく転載することを禁じます。