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#1429/3141 るーみっく☆わーるど *** コメント *** ★タイトル (QEG72756) 94/ 2/10 2: 5 ( 49) 考察>RE#1423 作品に対するスタンス 飛鳥 杏華 ★内容 ☆阿修羅さん 活発なご意見、歓迎します。前回のRESでは、「八神のポジション」という言 葉が使われていたので、「作品において八神が占める位置について」だと思って書 いたんですが、阿修羅にとって一番重要だったのは、「八神が、あれで五代くんを あきらめたか否か?」ということだったんですね。(^_^;) まあ、あらかじめことわっておきますが、恐らく私と阿修羅さんとでは、作品に 対するスタンスやアプローチがかなり異なっていると思うので、合意点を見い出そ うというのは無理でしょうね。(^_^;) まず、私は作品そのものに惚れるタイプであって、決してキャラにはハマらない 人間なのです。アニメでもそうで、そのためか声優さんに対しても特別な感情を持 たない方なんですよ。 私の考察は、一般的に「記号論」と呼ばれているもので、作品中でのキャラやそ の言動が、その作品にとってどんな意味を持っているのか、何を表す記号なのかを 数々の考証から解析し、論証して行くというものです。阿修羅さんの指摘するよう に、作品上の技巧論に終始しているというのは、ある意味で非常に当たっていると 自分でも思いますが、数々の技巧に満ちたるーみっく作品を考察するのには、これ が最も適しているとも思っています。 もちろん、記号論だけで作品のすべてを語れるとは思っていないし、他の論法で も、それ単独で作品を一意に限定するのは不可能だと思っています。というより、 作品というのは、作者の手を離れ、読者に引き渡された瞬間から、絶対的な解釈な ど存在しなくなるのだと考えています。無論、作者の意図するところというのは確 かに存在するでしょう。しかし、それさえも、作者の手を離れた後においては、そ れこそ無数に存在する解釈のひとつに過ぎないのだと…。 ラブ・ロマンスだとか、ラブコメだとかというジャンル分けも、結局のところ、 マスコミや大衆が系統を分類するのに便利だからつけているものに過ぎず、作品そ のものがそれを持って生まれるわけではないと思うのです。ましてや、ラブ・ロマ ンスだからこうあるべきだという絶対的な基準など、どこにも存在しないと思うの です。 ですから私は、できあがった「めぞん一刻」という作品が、そこに存在するとい うことのみが事実であって、それに対するアプローチは人それぞれに様々であって いい、また、そうあるべきだと思っているんです。限定し、固定するんじゃない。 解釈の可能性を無限に広げて行くんだ。それこそが、私の作品に対するスタンスな のです。だから、「女神継承」のような解釈も生まれてくる…。(しかし、オカル ト的とはえらい言われようだな。(^_^;) せめて、ファンタジックと言って欲しか った。(笑)) もっとも、私も自らの論を自信を持って発表するために、断定的な表現はします けどね…。(笑) QEG72756 飛鳥 杏華