SIG るーみっくわーるど SIG るーみっくわーるど」は、漫画家 高橋留美子先生(るーみっくわーるど)の作品が好きな仲間が集まっているグループです。 るーみっく好きなメンバー間コミュニケーションのためのチャットや掲示板の提供、るーみっく系イラスト・小説・リンク集の公開などを行っています。 オフ会も不定期に開催されています。1992年6月にPC-VAN上で誕生した歴史あるグループです。
ホーム | About | 新着・お知らせ | フォーラム | ライブラリ | チャット公開ログ | メンバー紹介 | リンク | Copyright
投稿日時:1994/ 2/10 2: 7 投稿者ID:QEG72756
#1430/3141 るーみっく☆わーるど    *** コメント ***
★タイトル (QEG72756)  94/ 2/10   2: 7  ( 85)
考察>RE#1423 原作での八神のポジション2  飛鳥 杏華
★内容

 阿修羅さんの指摘を受けて、八神が「弱虫」で五代くんをあきらめたのかどうか
ということについて、記号論でない視点から考えてみました。

 「あきらめる」ということの定義と範囲をどこに置くかで変わってくると思うの
で、あらかじめその点は考慮に入れて読んでいただきたいと思います。

 まず、結論から言ってしまうと、「あきらめた」と解釈します。もちろん、あき
めたからといって、五代くんへの想いが消えてなくなるわけではありません。あく
まで、アタックをあきらめたということです。

 八神は五代くんの気持ちを知っていました。「響子さんが好きだ」ということを
…。それでも、アタックを続けたのは、響子さんが五代くんに対する想いを認めな
かったからです。そこにこそ、八神のつけ入るチャンスがあったわけです。

 響子さんの側が、ハッキリと認めない以上、五代くんがいくら響子さんを好きで
も恋愛は成立しないのだから、自分との間に恋愛を成立させるべくアタックを繰り
返す。というのが、八神の行動であったと分析します。

 八神はこの間、常に響子さんに対して五代くんに対する想いを追及し、確認する
行動をとっています。気にしているんです。「パジャマでお邪魔」「めまい」「弱
虫」と…。なぜ確認をとっているんでしょう?

 それは、響子さんが五代くんへの想いを認めてしまったら、五代くんの気持ちが
ああである以上、自分には勝ち目がないと認識していたからです。「めまい」で、
五代くんと響子さんがキスしそうな雰囲気になりながら、人目を気にして適当にご
まかしてしまった様を見て、「まだまだね…」とその進行の度合を確かめていると
ころなど、あくまで自分に与えられたチャンスが「響子さんが五代くんへの想いを
表層において認めるまで」だということを察知しているからこその行動と見てとれ
るのです。八神は、その態度から響子さんの想いも知っていたわけですから…。

 結局、八神に与えられたチャンスは、「このままじゃみんなウソになりそうでこ
わい」という響子さんの言葉が出たことで終ってしまいます。ここで、注意しなけ
ればならないのは、終らせたのが八神自身だということです。

 最後の「弱虫」という言葉が、「こわい」という一線を超えられないでいる響子
さんに対して向けられたものであることは容易に読み取れるところですね。それは、
結果としてその一線を超えろと言っているわけで、超えれば五代くんと響子さんが
結ばれることはわかった上で言っているわけです。響子さんに対して「アタックせ
よ!」と…。

 同じスタートラインに立って、互いにアタックをかけたとしたら、勝敗は明らか
です。頭のいい八神にそれがわからないはずはありません。それがわかっていて響
子さんにアタックを要求したことで、八神はハッキリさせたのです。自分自身の処
遇、すなわち、自らのアタックをあきらめるということを…。

 ここで、アタックをあきらめた以上、八神が再登場する理由も必然性もなくなる
というわけです。この辺は、キャラを実在のものとして考え、キャラ本位で作品を
見て行く人には、どうしても納得がいかないところでしょうが…。(^_^;)

 ここで阿修羅さんは、この後、八神を物語から消す必要性も、消せる可能性もな
い。「弱虫」以後に八神が描かれても、なんの影響もないと書いているわけですが、
ならば、その逆も言えるんじゃないでしょうか? これ以後、八神が描かれなくて
も、なんの影響もないと…。

 再び記号論になりますが、八神がその記号としての役目を終えたとしたら、作品
においてはもう不要の存在になります。(不要と言ってしまうと、ちょっと酷なよ
うな気もしますが…。(^_^;))

 けもさんという作家は、結構そういうところ徹底した描き方をする作家なんです
よね。不要なものはあえて描かないって…。その傾向は「らんま」になってから更
に強まっていて、最近はようやく描かれるようになりましたが、「らんま」には長
らく母親という存在が欠落していましたし、教師も実質的にはいないに等しかった。
それに、乗り物が登場しない。最近は、ようやく電車に乗っているシーンが見られ
るようになったけれど、未だに自動車は登場していないんですよ。それに、警察官
もいない。

 これらは、「らんま」のキャラたちが格闘を展開するのに邪魔な、あるいは、不
要な存在だったんです。いらないから描かない。むしろ、いたら(あったら)困る
というものもあったりします。(笑)

 こうしたけもさんの作家としての性格もまた、八神に再登場の機会が与えられな
かった原因のひとつだと思います。


 余談ですが、「けも」というのは、高橋留美子さんのデビュー前のペンネーム、
「けもこびる」から来ています。「こびる」は、そのものの意味もあるかもしれま
せんが(^_^;)、留美子を逆さに読んだものだと解釈しています。「けも」の方は
    ・・
 「なまけもの」

から来ているという説がありますが、真偽のほどは定かではありません。(^_^;)


                    QEG72756   飛鳥 杏華
前の投稿:#1429 考察>RE#1423 作品に対するスタンス     飛鳥 杏華
この投稿:#1430 考察>RE#1423 原作での八神のポジション2  飛鳥 杏華
次の投稿:#1431 考察>RE#1424 八神の恋は本物!   飛鳥 杏華

フォーラム過去ログ一覧へ戻る

Copyright © 1993-2005. SIG るーみっくわーるど
このページにある投稿文章は、各投稿者に著作権があります。
このサイトで公開されている全ての文章・画像などを許可なく転載することを禁じます。