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#1652/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (XGM38132) 94/ 5/29 0:49 (126) 考察>めぞんに於ける惣一朗の存在の大きさ by阿修羅 ★内容 惣一朗。僕はこの人の存在の大きさをとても感じます。そこで、前々から考えてい た事を、ようやくTVシリーズを見終えた事ですし、少しばかり書いてみようと思い ます。(以下私見) 顔を、読み手にはその顔を一度も見せなかった惣一朗。五代も、彼の顔を見たのは 最後の最後になってからです。惣一朗は、五代にとって、管理人室で響子と結ばれる までは、絶対的に存在する幻影(理想像)でしかありませんでした。それまでは、そ れは響子の中にあるのではなく、五代自身の中にあるものでした。 五代に出会った当時、彼女にとっての真の安らぎとは、勿論惣一朗が生き返ること でしょう。しかし、当然すぎる事ですが、それは望むよしもありません。が、響子に とって、惣一朗は最愛の人であり、それは五代と結婚する段に至っても、ある意味変 わっていません。 では、彼女に許されている安らぎとは何か。惣一朗の思い出を忘れさせてくれる程 の何物かの存在? 違います。彼女自身それは不可能だと言ってますし、実際簡単に 忘れられる物でもないでしょう。原作『好きなのに』で「忘れさせて欲しかったのに 」と彼女は言ってますが、無理だと判っているのに、それをしろと五代に望む、彼女 の苦しみからの訴えであり、同時に五代に甘える彼女のわがままでしょう。出来ない 事をして欲しい、という訳です。 彼女が、惣一朗の事を忘れてしまいたい、そう一時とは言え思ったのは、五代への 思いの強さの表れなのですが、彼女がそれを望んでいては、五代にはどうしようもな く、「僕は惣一朗さんの代わりにはなれない」と言う(実際に言った訳ではないが、 『契り』や『桜迷路』の五代の言葉を考えると)五代の中の幻影の惣一朗の、その存 在はますます大きくなってしまいます。 『好きなのに』で一刻館へ帰る時、彼女はこんな五代の中の惣一朗の存在と、その 為の彼の苦しみに気付いていました。このままではどうにもならない。しかし、気付 いてはいても、彼女にはもう出来る事はほとんどありませんでした。なぜなら、本当 の惣一朗は彼女の中にあるもので、彼の中にある、それの幻影に苦しむ五代を、響子 が救える訳がありません。そして、彼女は自分に出来る最後の手段を使った訳です。 「どうしていいかわからない」。この言葉です。 この言葉を聞くまでの五代は、惣一朗の幻影におびえ続けて来ました。自分は惣一 朗の代わりにはなれない、という自責観念とでも言うのでしょうか、そんなものに苦 しんでいました。その惣一朗の像はあくまで自分の作り上げた幻影であるのに、です 。そして、とうとう口にした言葉、「このままじゃいつまでも不安です」。彼の本音 です。彼が幻影の惣一朗に支配されそうになっている、とも取れます。 彼は常々自分はふがいない、と思ってます。そして、どうあがいても惣一朗には勝 てない、と(深層で)思ってます。『桜迷路』で響子の「それでいいと思います」と いう言葉の意味が解らなかったのは、この為でしょう。つまり、彼は、響子の支えに はなってやれない、自分は響子に頼られない、と思っているんです。 自分の好きな女性を包容して、守ってあげたい、っていうのは、男性の恋愛感情の 大きな部分を占めると思います。それが出来ない、というのは、とても歯痒くて、辛 い事です。彼は、「頼って欲しい、包み込んで上げたい、でも自分には出来ない。彼 女には(自分以上に包容力のある)惣一朗がいるから。」と思い、悩んでいるわけで す。 だから、「どうしていいかわからない」という響子の言葉は、そんな五代にとって は、最も欲しかった言葉です。彼女はこれまで、五代を助けようとはしましたが、頼 る気持ちをそのまま口にした事はありませんでした。しかし、やっと、響子が自分を 素直に頼ってくれたんです。 これで、彼は響子を包容してやることが出来ました。ここで、五代はようやく気付 きます。自分の持っていた惣一朗の像が、実は自分が大きく膨らませていた幻影に過 ぎないのだと。そして、自分が本当に見るべき惣一朗の姿がどこにあるかを。 響子の苦しみは、八神の担任(お名前は…(^^;))の先生が言ってましたが、惣一朗 が忘れられない、でも、五代が好き、という、退引ならない状態のためですが、後に は、先にも言った様に、五代が惣一朗の幻影に苦しんでいるのが解って、しかしどう することも出来ないジレンマが重なります。 このジレンマは、響子の言葉で五代の目が醒め(醒めきった訳ではなく、まだ何か に気付いた状態ですが)、頼られた事で自信を持った事で解決されました。そして、 最後に、二人の間の埋めるべき心の隙間は、五代が埋めます。 『桜の下で』で五代が保育園に出勤(保育園に出勤かぁ。なんだか変な感じもする な)しようとした時、響子は五代の背中に抱きついて、「もうあなただけなの…」と 言います。その顔は、単行本一巻の『惣一朗の影』の響子の写真よりも、穏やかかも 知れません。が、そこには、遺品をきっかけとして再び自分と、そして五代の中の、 惣一朗の存在が大きくなるのを、必死で止めようとする、健気な姿があります。 五代はこの時、今まで自分が己の心の中で肥大させていた惣一朗の幻影が、惣一朗 の記憶と自分への思いの板挟みになって苦しむ響子の姿に気付けない程、自分を盲目 にしていた事に気付きます(この話で五代がやっと惣一朗の顔を見たのは、作者がこ の事を暗に示しているのでしょう。彼がようやく本当の惣一朗を見ることが出来た、 見る準備が出来た、という事です)。五代の頭には「あなただけなの…」という言葉 が共鳴し続けていますが、この時、彼はきっと限りない後悔と、罪の意識にさいなま れたのではないでしょうか。 そして、惣一朗の墓前で、彼はやっと見つけます。彼が見るべき惣一朗の姿、それ は響子の思い出の惣一朗であり、響子の安らぎが、その、惣一朗の思い出を、彼女が 心の深くにしまい込み、鍵を掛けてしまわなくてもいい様に、そのまま受け入れてく れる物の存在であることを。 そして、響子は、やっと、安らぎを得、自分の心だけでなく惣一朗までも、自分の 心の、残された最後の、惣一朗の思い出をしまってある場所の扉を開け(心を全て開 いて)、その思い出を五代に預けるのです。 「さようなら惣一朗さん…」、という、言葉とともに。 惣一朗。もちろんめぞん一刻という物語は、五代と響子の恋の物語です。しかし、 その中心にあり主題とも言えるものは、彼、亡き惣一朗の存在だったように思います 。彼の思い出が故に、五代の気持ちを素直に受け入れられず、かつての彼の存在が故 に、(五代は)最後まで葛藤し続けた。彼が故に、です。 正直、僕の読み方で行くと、三鷹は、全く外の人です。以前、三鷹と八神が対に、 惣一朗とこずえが対に、なっていると言いましたが、基本的に、今もその意見は変わ っていません。事実、この物語に於いて、三鷹と八神の恋は破れ、二人とも、後には ピエロとなってしまいました。ところが、惣一朗とこずえは、この僕の考え方からい くと、全く対となる部分が無いように思われます。 しかし、考えればこれは当然の事で、惣一朗は、既に亡き人です。それに対し、こ ずえは今、響子の眼前に居る、んです。実物の彼女が目の前にいては、幻影も理想像 も持ちようがありません。これが、こずえと惣一朗の存在の決定的な違いでしょう。 五代と響子が、互いに相手の心のどこかに居ると知っている人物ですが、一方は幻影 (理想像)、もう一方は現実として、認識しているんです。 先の大段落(1行開けで分けた段落)の追加になりますが、『春のワサビ』で、五 代は、「彼女の中で理想像が増殖していく」と言います。ところが、実際にその理想 像を増殖させてしまったのは彼自信であり、響子はそれを理想化してはいません。 ここで、もし五代が、この時点で惣一朗の幻影を作り上げてしまう事なく、つまり 三鷹の様に振舞える人だったら、恐らく、響子はずっと、その心のどこかに惣一朗の 思い出をしっかりとしまい込み、二度と、心の全てを解き放つことが無くなってしま ったかも知れません。 確かに、五代が、そして響子が苦しんだのは、五代が幻影を持ってしまったからで しょう。しかし、もし、彼が惣一朗の事で、そこまで悩み、苦しみ、考え、そして響 子がそれに気付かなかったら、二人は結ばれる事は無かったのではないでしょうか。 そして、この点が、響子が三鷹を選ばなかった(選べなかった)理由ではないかと、 そう思います。 《後記》 うーん、第2大段落の最後の締めがしっくり来ないなぁ。もっと上手い言い方思い 付いてたはずなのになぁ。うーん、もっと言う事沢山あったのになぁ。いざ書いてる と言いたい事がどんどん出てきて、とてもまとめきれない。 この文章の基になってる原作の話、『契り』も『桜迷路』も『好きなのに』も、み んなTV版には無かったですね。これらの話が無いと、最後の惣一朗の墓前での五代 の言葉が、今一つ意味を持たないんだけどな。思い返せば、つくづく残念ですね。 そうそう、TVでは『今夜 待ってる』もありませんでしたね。あの響子と五代の微 笑ましい姿を、ぜひアニメーションで見たかったと、つくづく(巧い言い回しが見つ からない〜(;))思いますね。 ふぅー、しかし、今回のこの考察は少し疲れました。やっぱり感じた事を考えにな おし、更にそれを文字にするのはとても難しいです。 94/5/28 by 阿修羅 P.S. 後になって読んでみたら、なんだか自己満足的文章ではあるな(^^;)。