![]() |
#1685/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (YUD09175) 94/ 6/ 4 2:16 ( 65) 考察>螺旋と同心円 マッシャ・アッキーニ ★内容 #1682 altjinさん ドモ(^_^)、螺旋についての考察、参考になりました。 > 「螺旋とは、増幅するフィードバック系の視覚的形態である」 というのを見て、とある同人誌でこれと似たようなことが書かれていたのを思 い出しました。 そこで述べられていたのは、大まかに言うと、物理的世界と意識との入出力の 関係−−受容・投射・感覚というフィードバック・ループのプロセスを調べてい くと、「表現」すなわち「世界」と「認識」の界面はフラクタルとなるのではな いかということでした。よそ様の本なので引用は控えますが、ビューティフル・ ドリーマーがイデオローグの映画でありうることを示すために出された提案でし た。そういえば、螺旋を展開していくとフラクタルになるということをどこかの 本で読んだことがあります。これって案外いろんなものに適用できそうですね。 この同人誌を発行したサークルは、たいていコミケットの両日に参加している みたいですので、評論系を当たってもらえれば今でも手に入ると思います。ヒジョ ーに面白い本なので、ここにいる全ての人達に読んでほしいくらいです(^_^)。 #2ネタになってきたので慌てて戻します。 > 「めぞん一刻を教科書にしてのお勉強会」のような感じでしょうか(^^;。 という例えには今一つピンと来なかったんですが、結局… > そしておそらくらんま1/2では、それらは「読者を巻き込む形での物語的必 > 然の螺旋」として意図的に統合されていると私は直感しました(^^)。 これですこれ、これを言いたかったんですよ(^_^;)。 それから、「同心円」と「螺旋」の違いについて。 私は、「同心円」から「螺旋」に移行するまでの差は、ほんのわずかなのでは ないか…などと、はっきりした知識もなしに思っているのですが、間違っている のでしょうか(大極も「螺旋的」だと思ってますが)。「螺旋」に「心を迷わす 形」という属性があるのと同時に、「同心円」にもそうした面はあるんじゃない か…と、漠然とですが感じます。 私がそのように思う理由は、押井さんの作風と、それに対する山崎さんの回答 にあります。 押井さんの多くの作品は、開始時間から終了時間までの丁度中央あたりを折り 返し点として、鏡像関係にあります(シーンの対応に顕著)。予言とその成就。 決定論的世界観。閉じた世界。……等々。これは言わば「同心円的構造」です。 例えば『紅い眼鏡』・『BD』そして『P2』。 TVシリーズ『うる星やつら』のCD変更後、山崎さんはCDとして担当した 1話目「異次元空間・ダーリンはどこだっちゃ!?」で早くも、閉じられた世界で ある「押井・うる星」からの脱却を図ります。「パラレル・ワールド」を前面に 出すことによって自由度を上げたのです。最後に戻った世界に多少の違和感を感 じたラムではありますが、「ま、いっか!」と、その世界に居着いてしまいまし た。これが成功したかどうかは賛否の分かれるところだと思いますが、この方向 性はほぼ一貫していました。 そしてその後はどうなったでしょうか? 『LTF』のラスト、サクラさんの セリフを思い出してみてください。同心円のように見えていた世界の中に発展性 を見出したとき、彼らが遠くに見たものは希望のようなものではなかったでしょ うか。この場合の「同心円」は「彼らを捕らえ続けるもの」の寓意でした。 以上から、両者は正反対、というより背中合わせのものではないかと思うので すが、どうでしょうか? まあ、もともと両者をイコールとする意思はなかった ので、「違う」のはその通りだと思います。 なお、飛鳥さんが触れていた、個人本で使った資料というのは、ゲーテの考え たもので、これには私もなるほどと思ったのですが、全面的に信用しているわけ ではありません。「男」と「女」はちょっとしたキッカケで逆転しうるのではな いか、などと考えているところなので。 マッシャ・アッキーニ