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#1687/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 94/ 6/ 4 14:12 (110) 考察>RE#1685 螺旋と同心円の違い他(^^) altjin ★内容 ども、マッシャ・アッキーニさん(^^)、 >螺旋を展開していくとフラクタルになる フラクタル自体が「自己反復的フィードバック系」だと私は思います(^^)。 だから、螺旋−>フラクタルじゃなくてフラクタル−>螺旋の因果関係の方が 元じゃないかと思いますが(^^)。んん、そう言えば、カバラの基本展開もフラ クタル的なようですね(^^)。 世界と意識とのフィードバック・ループは、私は「感覚情報」が記憶として 蓄えられ、それと新しい「感覚情報」との差異を「内部的感覚情報」として、 その「差異」こそが「認識対象」であろうと考えています(^^)。 しかし人間の場合はさらに「言語」が重要な役割を果たしていて、それが例 えば物理学における数学のような「閉じた変数的世界モデル」として心内に確 立されていて、その「変数割当」こそが本当の意味での「認識」であろうと考 えます(^^)。すなわち、「自己内の価値体系への割り当て」です。そしてカバ ラは、その「変数的世界モデル」「価値体系」をぎりぎりまで抽象化したもの で、いわば数学の「基礎論理学」に相当するものだと思っています(^^)。 だから、私の説では「創造」は、上のことを「心理数学」とすると、イメー ジ群を心理数学操作によって変換することを意味しています(^^)。数学的操作 では、 「数値群−>変数代入−>変換操作−>代表的・統括的数値の算出」 で、これを心理数学に当てはめると、 「イメージ群−>概念代入−>変換操作−>代表的・統括的概念の導出」 となり、これは私がかつて考察した「サブシンボル群−>統合−>シンボルの 導出」とまったく同じことです(^^)。 「物語を作ること」はこの過程を描くことで「既存イメージ群の新しい価値 付け」を行うものであり(「物語」自体が1つのシンボルになります)、「物 語を読むこと」はその演算過程をたどることで「作者の提示する価値付けを納 得する」ものだと私は考えます(^^)。 いずれにしても、「創造」には「変数的意味での概念代入」が必要不可欠で あり、それは「言語」によって初めて可能なものですから、「言語構造」の解 明の重要性は繰り返してでも強調したいところです(^^)。 >同人誌 申し訳ない(^^;、同人関係の情報に疎い上に、ひどい乗り物酔いなので遠出 が出来ない特異体質です(^^;。だから、近所に同人誌を扱う本屋でも出来なけ れば、私はあるいは一生同人誌は目にする機会はないかも知れません(^^;。ま あ、いつかは買おうとは思っているのですが(何か、最近私のバイト先の渋谷 にそんな店が出来たらしい(^^))、それには期待しないで下さいね(^^;。 >これですよ、これ あ、いや、私の感覚では、マッシャ・アッキーニさんの考察しておられる部 分は「読者を巻き込まんとする」螺旋部分だと感じました(^^;。物語的必然の 螺旋は、おそらくあのような形にはならない(これは、キャラの心理の動きの 螺旋だとお考え下さい(^^;)だろうと考えます(^^;。 >「同心円」と「螺旋」の違い 私はこの差は「越えがたいほどに」大きいだろうと思っています(^^;。例え ば思考過程では、「同心円」的思考は量子的飛躍・デジタル的変化により進行 し、「螺旋」的思考は仮定・否定的証明・仮定の真理化と、通常の論理的変化 で進行します(「螺旋」が弁証法的だと書きましたね(^^))。 螺旋 :カバラ、男、西洋的、座標点は円周上(「運動」を重視) 同心円:タントラ、女、東洋的、座標点は円の中心(「バランス」を重視) など、様々な違いが見られます。カバラは「分析的真理探求」であり、西洋近 代文明はこの思考法を基盤としています。一方タントラは「没入的真理探求」 であり、東洋文明は長らくこの思考法を基盤としていました。タントラに基づ くインド文明、太極に基づく中国文明が「進歩」にはほとんど無関心であった ことに御注意下さい(^^)。 私がBDを「捻じれたシンメトリック構造」だと考察した時に、同時に「そ の中央を貫く線がある」ようなことも書きました(^^)。これらから、私は少な くともBDは「同心円構造を貫く螺旋構造:『女』を貫く『男』」であるよう に思います(^^;。つまり、同心円構造はあくまで「外のもの・世界」として扱 われていて、一方映画の時間軸はその同心円構造の影響からか、「迷える主観 ・意識」として螺旋構造を取っているということです(^^)。 「LTF」はまだ見てません、申し訳ない(^^;。ただ、上に1度書いたよう に、もし同心円的世界で「発展」があるなら、それは「段階跳躍的飛躍」なも のになるだろうと考えます(私は、「電子の段階的エネルギージャンプ」をイ メージしています(^^))。あるいは、螺旋こそが同心円にその「ジャンプ」を もたらすものかも知れません。 パラレル・ワールドは上記の螺旋・同心円の対置で見ると、「中心点が一定 でないが、かと言って動きが座標点でもない」と、螺旋と同心円の中間的な意 味合いを帯びてますね(^^)。結局それは「座標原点が浮動している」と言うこ とですが、おそらくこれでは「物語の内部的フィードバック系」が壊れてしま うでしょう(^^;。それを避けるためには、「浮動する座標原点」を結局は螺旋 構造に沿うように動かす必要があるように思えます(^^;。しかし、それでも、 螺旋構造の持つ「引き込む力」も同心円構造の持つ「安心感」も中途半端な形 でしか発揮出来ないわけですから、あまりうまい手法とは思えません(^^;。 >両者は正反対、というより背中合わせ これは、私は「2つ揃って初めて意味がある」と考えます(^^)。螺旋は結局 「陽」であり同心円は「陰」で、螺旋だけでは「不安定」ですし、同心円だけ では「停滞」です。で、この両者を統合する方法が1つは「SEX(空による エクスタシー)」でありもう1つが「女教皇(智恵)」らしいのですが(ちな みに、前者は女性に適したコース、後者は男性に適したコースだと言われてい ます(^^))、まあ、何て言うか「波(エネルギー)でもあり粒子(物質)でも あり」、物理学においてすらそこでは数学論理は通用しないのですから、「言 語だけによる理解」は根本的に不可能なことなのかも知れません(^^;。 最近よく思い出す禅の逸話です(^^)。 風に旗が揺れている。僧が2人、見上げて言う。 僧A「旗が動いているぞ」 僧B「いや、あれは風が動いているのだ」 僧A「何としたこと、ではおぬしは、風が動くところでは必ず旗が動くと申さ れるのか? だとしたら空は旗で一杯ではないか。風は従に過ぎん、旗が動い たのだ」 僧B「ほう、では、風もないのに旗が動く、と? 有り得ないことだ、風が動 けばこそ旗が動く、すなわち旗が従である」 そこへ通りかかった3人目の僧、 僧C「動いているのは、あんたたちの心だろう?」 深い意味はありません(^^;。意図を探っても「飛竜昇天破!」、捨て置いて も「飛竜昇天破!」です(^^)。すべからく禅話は一片の詩としてお読み下さい ませ(^^)。 altjin