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投稿日時:1994/ 6/ 5 0:14 投稿者ID:YUD09175
#1688/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (YUD09175)  94/ 6/ 5   0:14  ( 88)
考察>RE#1687 「中間」の価値・等   マッシャ・アッキーニ
★内容
《altjinさん》

 いつも早いRESをありがとうございます。何でこんなに早く考えがまとまる
のか羨ましくてなりません(^_^)。

> 螺旋−>フラクタルじゃなくてフラクタル−>螺旋の因果関係の方が元じゃな
> いかと思いますが(^^)。
 そういえばその通りでした(^_^;)。確かナントカといった関数を元にして螺旋
を描いた図がありました。ごく単純な関数で、発散していくやつだったと思いま
すが、覚えてません(^_^;)。フラクタルといってすぐに思い浮かぶのはコッホ曲
線とペアノ曲線くらいなもんで、曖昧な記憶を元に書いたのが間違いでした(根
本的に間違っとろうが)。

 「認識対象」についての考え方は、なるほどと思います。しかし、

> 人間の場合はさらに「言語」が重要な役割を果たしていて、それが例えば物理
> 学における数学のような「閉じた変数的世界モデル」として心内に確立されて
> いて、その「変数割当」こそが本当の意味での「認識」であろうと考えます(^^)。
 ということは、「言語」を介さないものは「本当の意味での」「認識」ではな
いということになりますね。「変数割当」できないものはそうではない、と。
 うーん、分からなくなってきた。「言語」が「認識」において重要な位置を占
めているというところまでは納得できるんですが…。

 サブシンボル群からシンボルを導き出すことが有効であるのは、私も認めてい
ますが、サブシンボル群を抽出する段階で、それを抽出する者自身の影響がどう
しても出てしまうのではないかと考えます。「誤読」というパラダイムが存在し、
その価値が多少なりとも認められているのは、「読者」の「受容装置」を尊重し
ているからこそだと思ったりします。しばしば「作者」という主体が無視される
ことがあるのもまたそれゆえでしょう。さらにそのことは、

> 「物語」自体が1つのシンボルになります
 ということが主要因ではないかと思えるのです。よく言いますよね、

 「作品は世に出された以上、作者の手を離れ公共物となる」

 と。私は何も、「作者」を無視することを推奨しているわけではなく、むしろ
逆なのですが、altjinさんのおっしゃるような、

> 「物語を読むこと」はその演算過程をたどることで「作者の提示する価値付け
> を納得する」ものだと私は考えます(^^)。
 ということが本当にできるのかどうか、非常に興味があるのです。もし可能な
らば、私の杞憂などは幻想に過ぎなくなるからです。

 altjinさんが「言語構造」の解明の重要性について強調されているのは
よく分かります。今までさんざんやられてきたにも拘らず、なお解明されていな
いのですから、容易なことではないでしょうが。

> あ、いや、私の感覚では、マッシャ・アッキーニさんの考察しておられる部分
> は「読者を巻き込まんとする」螺旋部分だと感じました(^^;。物語的必然の螺
> 旋は、おそらくあのような形にはならない(これは、キャラの心理の動きの螺
> 旋だとお考え下さい(^^;)だろうと考えます(^^;。
 うーん。「物語的必然」の解釈の差でしょうけど、「読者」をモデルにした部
分があったとして、それを「読者を巻き込まんとする」部分だというように画一
化しようとしているわけではなくて、それが物語を形成しているのなら、結果と
して「物語的必然」となると思ったのであのように回答しました。
 それに「これを言いたかった」と言ったのは、文字通り「言いたかったが言っ
てない」ということです(^_^;)。そのセン(どうやら解釈は間違っていたようで
すが)も考えていて、あわよくば包含しようとしていた、と。ですから今までの
考察で明言していないことは間違いありません。ハイ。


> 私がBDを「捻じれたシンメトリック構造」だと考察した時に、同時に「その
> 中央を貫く線がある」ようなことも書きました(^^)。
 そういえばそうでしたね。もしお暇でしたら、タイムシートを作ってみてくだ
さい。しっかり「中央」が「大亀」になってますよ(笑)。既にやっておられま
したらごめんなさい。

☆ 「螺旋」と「同心円」のこと

 私がBDとLTFの例を出したのは、「螺旋」や「同心円」に、本来的な性質
とは離れた意味を恣意的に与えた場合についてはどうなのかが知りたかったから
です。前回の説明では納得できなかったので。
 そして今回、「螺旋」・「同心円」のそれぞれを基調とした思考法を採った文
明が、両極へと進行していったことを根拠として、両極へと突きつめていくこと
に価値を見出したとき(それを「うまい手法」と判断するようなとき)、上記の
ような恣意性は大した意味をなさず、本来的な構造へとどうしようもなく立ち返っ
てしまうことは納得しました。その性質自体は面白いことだと思いました。
 しかし、「引き込む力」と「安心感」を十分に発揮しようとしない理由が作者
にあるとき、その心の揺蕩(アポリア)は作り手の営為として許容されるべきだとも
思います。場合によっては、「物語の内部的フィードバック系」を意図的に破壊
しようとするエクリチュールを評価してもよいと思います。それこそ興味の対象
の違いでしょうが。


> 「言語だけによる理解」は根本的に不可能なことなのかも知れません(^^;。
 やはりそうですよね…。理解しようとすること自体が大事なのでしょう。

                         マッシャ・アッキーニ
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