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#1696/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (YUD09175) 94/ 6/ 7 0:17 ( 48) 考察>RE#1694 なるほど(^_^) マッシャ・アッキーニ ★内容 《altjinさん》 紆余曲折はありましたが、ようやく疑問が解けました。 > 大事な定義を忘れてました(^^;、私は「認識」を、 > > 「意味を把握する段階」 > > であるとした上で書いています(^^;。 そういうことだったのですね。私の質問に逐一答えていただいたお蔭で、かな り頭を働かせることができました(^_^)。 ただ欲を言えば、完全に一対一になってしまっていたので、他の人達の意見を 取り込むことができなかったのがちと物足りない感じです。割り込む余地、なかっ たのかな? 次、「作者」「読者」のこと。 > うにゅにゅん(^^;、私の経験では、むしろ「作者が最悪の読者である」よう > な気がしないでもないですが(^^;・・・。何か、強い思い入れがある分、その > 作品の「もっとも深い本質」が見えなくなる傾向が(私の場合には(^^;)よく > あります(^^;。 そうでしたか。私の場合は特殊なのかな…。 まあ、パロディ漫画・同人誌ということもあるかもしれませんが、自分の好き な物を描いたときに限って否定的な反応が来たり(直接届くことは少なく、大抵 は発行人から伝わります)、全く逆の解釈をされたり、力点の少ない箇所を褒め られたり(これは結構嬉しい)、絵の上手い下手での感想ばかりだったり、気持 ちを軽視されたり…etc。何か全人格を否定されたような気になることも時々 です。 「強い思い入れ」のために「見えなくなる傾向」は確かにあります。それゆえ にこそ(見えないからこそ)、シツコイ程に自作を読み返すわけで、これは一種 のナルシシズムではないかと思うんですが、こうした行為によって自己の内面が 見えるような気がするときもあり、何か「夢分析」に似てると思ったりします。 「夢分析」でも他人の意見を聞くのは大事なことですし、自分以外の「読者」の 価値は認めています。でも、これだけ真摯な読者って他にはいないのではないか、 なんて考えてるんですよ。 ちなみに、最近漫画をほとんど描かなくなったのは、他人に頼まれた原稿を〆 切に追われながら描き続けるうちに、「労多くして功少な」いことを自覚してし まい、「みんなのために描いてるんぢゃないやいっ」と、すっかりヒレクレてし まったためです。私にとっての「漫画執筆」はコミュニケーションを目的とする 手段ではなくなってしまった、ということです(結果としてそうなる分には全然 構わないのですが)。 (やっぱり特殊例かな)マッシャ・アッキーニ p.s.モンティ・パイソンのことは知りませんでした。押井さんは実写映画を 腐るほど観ているそうだし、他にも公然とパロディをやっているので、 意識的にパロったことは十分考えられますね。