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#1698/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QEG72756) 94/ 6/ 7 23:30 ( 58) 考察>作者にとってつらいのは…。 飛鳥 杏華 ★内容 ☆RE#1696 マッシャ・アッキーニさん この議論に割り込むのは、ちと容易ではないですよ。このレベルになると、それ なりにこの手の関連の書物を読んだり、普段から物事に対する定義が自分なりに確 立できていないとダメでしょう。中途半端な思い込みだけでうかつに参加できませ んよ。(^_^;) 私も全然ついて行けませんでした。(^_^;) これはまあ、私の不勉強もあっての ことですが、「認識」の定義がどうのなんて、普通の生活の中では考えてもみませ んからね。ちょっと難し過ぎてついて行けなかったというのが正直なところです。 漫画執筆の際の経験の部分について程度なら自分にも経験があるので突っ込めます が…。(笑) 作者も1読者であるという考えは、私も同じです。ただ、最良でも最悪でもなく、 ごく普通の読者よりは作品について深く読め、作品を掌握できている読者であろう と…。作品には常に、作者自身が意図した以外の解釈とそれに対する正当性が発生 する可能性があると思うのですが、作者はつい自分の意図したことにばかり目が行 き、これを見落とすこともしばしばあります。 そのように、すべてが見通せないという点で「最良」とは言えないが、少なくと も自分が意図した部分については正確に読め、把握できているわけですし、何より も積極的に「読む」という行為をする読者なわけですから「最悪」でもないはずだ と考えています。 さて、マッシャ・アッキーニさんが漫画を描かなくなった理由についてですが、 同感な面も多分にありますね。でも、私にとっては、描いたものに対して何の反応 も返ってこないことの方が遥かにつらいです。私の場合、批判とかよりもそっちの 方がこたえます。まだ反応が返ってくるだけ幸せですよ。(^_^;) 批判でも、社交辞令でも、ただ「読みました」だけでも、返ってくるものがあれ ば、それなりにホッとします。が、何も返ってこないというのは、いつまでも待た されたままで、ずっと不安をかかえたままなんですよね。(^_^;) 「描く(書く)」という行為をするからには、当然、「読む」という行為を周囲 に対して期待するわけで、他愛もないひとり言ならともかく、作品として出したも のなら、それが読者に与えた結果というのは、少なからず気になるところです。 読者が1人でも存在するのならそれは「作品」たりえる。しかし、何も返ってこ なかったら、その読者の存在を知覚することができないんですよね。(^_^;) こい つは不安ですよ。まあ、自分の実力を棚に上げて…という部分もありますが。(笑) でも、ほんと返ってくるものって少ないんですよね。(^_^;) 私なんか、知名度 も実力も低いからなおさらです。(笑) 作品を作り発表するというのは、確かに コミュニケーションの1形態ではあるんですが、ほとんど作者から読者への一方通 行であって、相互のコミュニケーションというのは期待できないものなんでしょう かね。 マッシャ・アッキーニさんが漫画を描かなくなったのと、ちょうど入れ替わるよ うに漫画を描きはじめた私ですが、私の場合は、まだ漫画という分野が自分にとっ て多分に未知、未開の領域で、そこに踏み込むこと自体にワクワクできるから「描 きたい」という気持ちになれます。 相互のコミュニケーションということに、最初から期待していなかった分、ショ ックも少ないということかもしれませんが…。(^_^;) QEG72756 飛鳥 杏華