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#1703/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (YUD09175) 94/ 6/ 9 2:35 ( 77) 考察>RE#1698,1699 実は雑感>です マッシャ・アッキーニ ★内容 《飛鳥杏華さん,altjinさん》 「経験談」というのもおこがましい、ぼやきにも似た私の意見に対して、それ ぞれの立場から「作者」の思いを表現していただき、ありがとうございます。 読むほどに、やはり私の考えは異端なのではないかという思いが強くなってき ています。 #1698 > 私にとっては、描いたものに対して何の反応も返ってこないことの方が遥かに > つらいです。私の場合、批判とかよりもそっちの方がこたえます。 私の場合も「批判」がこたえるというわけではないんですよ。むしろ燃え上が り、「批判ないか批判ないか」と発行者に尋ねて回ることもあるくらいで(笑)。 ですから、反応は反応で興味はあります。ただ、単純反射的な反応と「何も返っ てこない」との差はあまりないです。 > 作品を作り発表するというのは、確かにコミュニケーションの1形態ではある > んですが、ほとんど作者から読者への一方通行であって、相互のコミュニケー > ションというのは期待できないものなんでしょうかね。 これ、言えると思います。まず作品は作者を離れて一人歩きします。作品のイ メージから作者像が作られますが、それが作者本人と合致していることは稀でしょ う。私の場合は、「漫画のイメージと違う」「今話してる事、ファン(笑)の前 で言ったら泣くぞ」「●●さんがそういうこと言うなんて意外ですね」「●●さ んは大丈夫ですよね」…等々。まぁ、どう思われようが勝手ですけど、「この人 はこーゆー人」というように言われて、それに反する行動を取りにくくなったこ ともありました。「イメージ壊すからあーゆーことやめてくれ」って釘を刺され たこともあります。 飛鳥さんはそーゆーつもりで言われたのではないでしょうが、これも結構つら いですよ('93年はそれに対する反逆の年だったような気がします)。 #1699 > >全人格を否定されたような気になることも > これは、やはり「作品」として世に出すのであれば、覚悟しておかなければ > ならないことだと思いますヨ(^^;。 これは私の考えですけど、「同人誌」は「商業誌」でやれないことをやるもの だと思っています。altjinさんは「作品」一般について語っておられるよ うなので少しずれるかもしれませんが、ご了承ください。 先に、私の考えは異端なのではないかと書きました。どうしてそう思うのかを altjinさんの意見と照らし合わせながら少しだけ示します。ただし、これ は自分の意見の正当性を示そうとするものではありません。 > まず第1に、個人的なものであればあるほど、一般性が薄れてしまいますし、 一般性を出すために個性を殺す気はありません。幅の広さは当然あってよいと 思います。 > 「読者には事前の準備はなく、おそらくはサラッと読んでしまうであろう」 そうでしょうが、サラッと流されては困ります。受け入れられると分かってい るものを描いても仕方ありません。 私が「表現行為」をする動機の一つには、 「既存の価値観に疑問を抱かせたい」 というのがあります。 「なぜ人は物語を求めるのか?」 「起承転結は必要か?」 「主人公という概念は何によるか?」 …等々。まだよくは分かっていないので、「表現行為」は続けるでしょう。手 段はころころ変わってますけどね。 …というものを描いてきたつもりなんですが、あるとき友人に言われました。 「何だかんだ言ってても、一般ウケしてるわ、あんたの絵」 …ひ〜ん(;_;)。中身はどーなのよ。 >「夢分析」 の話もしたいところですが、あいにくユングをほんの少し読んだだけで、あと は筒井康隆さんの影響です。ので、altjinさんから一方的に吸収すること にします(^_^;)。 ユングといえば、「飛御の森」の話(に限ったことではありませんが)ではそ ういった象徴的モチーフがバンバン出てきて、プンプン匂うくらいです。このシ リーズは、いずれ何とかして批評したいと思ってるんですが、なかなか手強くて 難渋しております。断片的にはいろいろ思い付いてるんですけどね。光の当て方 によって色々な面が見えてくるので(いわゆる多重構造ですか)、それをどう表 現すればよいか、ずっと悩んでいます。 マッシャ・アッキーニ