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#1727/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (YUD09175) 94/ 6/30 2:51 ( 74) 考察>RE#1712「相対化」などに関して マッシャ・アッキーニ ★内容 《altjinさん》 筒井さんの話を出されちゃ黙っておれん(^_^)、と思いながらも、雑事に追われ るうちにRESが先延ばしになってしまいました。 世界を相対化するための「前提的不条理世界」についての考察、大変興味深く 読ませていただきました。特に「相対化」については、私も似たような考察をし たことがあり、共感を覚えました。『らんま1/2』において、二項対立の概念 の相対化に重点が置かれていることは、そのタイトルにも反映されていますね。 ただ私の場合は、「相対化」によって生じる意味については触れることをしませ んでした。「連載が終わってから考えよー」とゆー(^_^;)毎度ながらの「逃げ」 でありますが、結局これが私の主義なんだろうなと、後になってみて思います。 『らんま1/2』における「二項対立」の最大のものが「男」と「女」である ことは言うまでもありませんが、こうした関係性は、さらに多くの概念に渡って いるようです。 乱馬くんの対立者として描かれるキャラクターは、ほとんどの場合、何らかの 形で乱馬くん自身を映し出しているように思われます。例えば目立ったところで は、公紋 竜,ハーブ,オロチは、いずれも「竜」であり、乱馬くんを示すモチ ーフとして多用されている「竜」(他に「虎」などがありますが)と対応してい ます。オロチの天敵「一角マングース」というのが出てきましたが、マングース が「ジャコウネコ科」の動物であること、竜の末裔であるハーブが麝香王朝王家 の一族であることを考え併せると、彼らは単に「打倒すべき敵」として現れたわ けではないことが窺えます。「命の水」の水源を塞いだオロチは、同時に「命の 水」を生み出す者でもあります。「猫」は乱馬くんの弱点ですが、最強拳の元と もなりました。 私は以前に、こうした二重性を「クラインの壷」になぞらえてみました。表が 裏に、裏が表になるというような構図です。で、だから何なのかとゆーと…まだ その先を文に起こしたことがありません(^_^;)。いずれやるつもりでいますが、 頭の中に渦巻いているイメージをどう整理すればよいのか、混乱しています。で すので今回はこの話題はここまでとゆーことで。すみません(^_^;)。 さて、「不条理」の話です。 けもさんも筒井さんも、作品ごとに文体・方法が違い、作風にも幅があります。 そのため、「不条理」という一つの切り口から両者を比較するには、個人の主観 に多くを頼らざるを得ないと思いますが、私も少し考えてみました。 > 筒井先生の作品では「条理という暗黙の前提の上での不条 > 理」が基本観点であり、そのためにその不条理は狂気の質を帯びている というのは、筒井さん自身似たような発言をされていたと記憶していますし、 私も、特に初期作品にはそういう印象を持っていますから、幾分頷けました。 しかし、 > けも先生の作品では「条理という暗黙の前提」が消えてしまっているのです。 これは今一ピンときませんでした。「暗黙の前提」の置かれる場所を、私がよ く解っていないためだと思うんですが、単に表現方法の違い(漫画・小説という だけでなく)の問題に収斂できそうに感じられました。 仮に「暗黙の前提」を「作品世界」に置いているとすると、例えば『虚航船団』 の世界に「条理という暗黙の前提」があるのかどうか疑わしいし、「現実の本性 は不条理である」とした作品なら『霊長類 南へ』『家族八景』『スイートホーム ズ探偵』『俗物図鑑』などが思い浮かびます。 > すなわち、「不条理である世界」そのものが暗黙の前提になっており、そ > こでは不条理は狂気ではなく、「遊び」として捉えられています。「勝手なや > つら」の中で「わしもハデなことをしたい! 自衛隊を出動させよう!!」と > 言う防衛庁長官の何とも嬉しそうなこと(^^)、これが筒井先生の作品ならもっ > と皮相的な視点から描写される類のものではないかと私は思うのですが、 そうとも限らないと思います。「勝手なやつら」での防衛庁長官の言動は、確 かにそのように描かれていますが、それに対する作者からの価値判断がほとんど なされていない(あるいは意図的に排除されている)ので、読者によっては全く 逆の読み方をすることも可能です。こうした人物描写は筒井作品にも見られ、い わゆる社会的常識(^_^)を外れた馬鹿騒ぎを演じる(それは狂気にも似たものかも しれません)、その行為の描写のみを淡々と行う方法などに顕著です。すぐに思 い付くものは『新宿祭』『歌と饒舌の戦記』『アノミー都市』くらいですが、そ ういえば、「皮相的な視点から描写」というのは当たっているかもしれませんね。 筒井さん自身がどのように考えて書かれたのかは分かりませんけど。 蛇足ですが、 『がんばり末世』と『末世法華経』 『黄金の貧乏神』と『弁天さま』 なんかは似てるなぁと思います。 マッシャ・アッキーニ