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#1813/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (XGM38132) 94/ 7/28 23:25 (118) 感想>『ボーイ ミーツ ガール』を読み終えて 阿修羅 ★内容 《感想の前に》 このあいだ最後のデートの感想書いたばっかりなんですが、高橋留美子FCの作 品総目録第2巻の、うる星に関する作者のコメントを読んでいるうちに、「うる星 を読まずに高橋作品を語ることは出来ない」と思い、ほとんど衝動的にラストまで 一気に読んでしまいました(高橋留美子FCの編集者の皆さん、貴重な資料、有難 うございます)。 で、実はラストの『ボーイ ミーツ ガール』、先にうる星完結篇で見てしまっ ていまして、内心「完結篇のイメージで読んでしまうかも知れない」と思っていた のですが、読んでみると、完結篇の出来が良かったのか(実際完結篇は良いと思っ た)、原作にも忠実で、原作を素直に?読めました。 《読んですぐに思った事は…》 さてと…、ふぅ(^^;)、なんや、疲れてしまいました(^^;)。うる星を読み終えて、 めぞんを読み終えた時の様な、「読み終わってしまいたくない」という感情はめぞ ん程は無いのですが、こう、妙に中途半端な思いがします。ただ、うる星は時間が 流れていないため、続けようと思えばいくらでも続けられる気がしているので、ど の様な形にせよ、終わりを見れば、同じ感想を持ったかも知れません。 《無時間世界からの脱出》 うる星を読んでいて、この物語ほどラストの想像出来ない物はありませんでした。 と言うか(^^;)、BMGは完結篇で知っていたものの、それがラストだ、という事を 全然意識せずに読んでいた気がします。延々続けられるあたるの浮気が原因の痴話 喧嘩、ラムやテンや、面倒やしのぶ、その他大勢の登場人物の巻き起こす大騒ぎ…。 それが終わってしまう事の方が不思議で、徐々に残り少なくなる味読巻数の方がよ ほど非現実的でした。 しかし、思い出してみれば、否そうでなく、読みながら物語の中からでも、次第 に現実の認識と言うものをさせられていってました。 すぐに気付くところでは、あたるのラムへの想いの表面化があります。物語の後 期では、ちょくちょく、あたるがラムへの想いをラムに、また読者に見せています (少し話が逸れますが、その見せ方に共通点があって、多くの場合、ラムがいなく なるとか、牛になるとか、あたるの前からラムの存在が(事実上)消えるかも…と いうシチュエーションになってます(確か…(^^;)。そう記憶してるんですが…))。 うる星の様な無時間の世界にあって、人物の心の移り変わりは現実的な時間的変化 であり、その無時間性と矛盾するものです。その矛盾を感じる時、物語の現実との 接点を知らされます。 また、『扉を開けて』〜『明日へもういっちょ』(因幡クンが初登場する話です) で、あたる達は自分達の未来を見ます(この一連の話は僕にはすごく衝撃的で、も しもこれをなんの予備知識もなく、しかもリアルタイムで読んでいたら、ここでう る星は終わりと思ったんじゃないだろうか)。(確か(;))ここまで具体的な未来が 描かれたのは13話の「系図」以来です。『系図』は最初期の頃の作品なので、こ の5つの話が初めてに近いかも知れません。そうすると、ここへ来て、無時間であ る筈のこの世界で、時間の概念上の物である未来が、具体的に描かれているんです。 ともするとなんでもない、と言うか、うる星世界ではほとんどなんでも有りなので、 不思議でないようですが、これは大きなパラドックスではないかと思います。 そして、あたる達が未来を見、それを自分達の未来(の一つ)だと認識した事は、 物語の現実的世界への移行、この場合、無時間世界からの脱出の兆し(象徴)では ないか、と思うのです。 (未来の一つだと認識する事自体も多分に逆説的なんですが、それはもう少し考 えてから、機会があったら書きたいと思います(う、逃げ(;))) 《『ボーイ ミーツ ガール』という結末》 僕が短期間に一気に読んでもそのラストには少々突然だな、と、そしてあっけな いなと感じた「ボーイ ミーツ ガール」という結末。サンデーでリアルタイムに 読んでいた読者にはもっとショックだったのではないだろうかと思えます。 うる星という非日常の世界を日常的に長期に渡って楽しむ…。この、単に漫画を 読む、という事自体をもパラドキシカルにしてしまう物語に於て、終わりが来る、 という事を現実的に認識をするのは、なかなか難しい事ではないかと思います。 この、それこそ永遠に続くのではないだろうかとさえ思われる無時間世界。最後 の最後でも、「一生痴話ゲンカ続けるつもりか」という言葉に対しても、「だっち ゃ!!」と、一言。結局、ピリオドらしいピリオドは何も無かったとも言えるかも知 れません。 しかし、それでは、この世界に何を起こせばピリオドを打てるのか…。あたると ラムの仲を結ぶ事が、それにあたるのかも知れないです。しかし、それはその時点 で、この世界の終わりを意味します。先に言った様に、心理的変化は時間的変化を 伴うものであり、それに確固とした変わり目を付ければ、クルリと、世界が変わっ てしまう様に思うのです。 僕が感じた結末に対する感想の理由には、二つ考えられました。一つは、結末が 曖昧だ、という事、もう一つは、BMGの後も続くはず、続いて欲しい、という物 でした。 そして今は、前者は、『ボーイ ミーツ ガール』の解釈を自分なりにしっかり する事で、ある程度解決されました。後者は、そのBMGの解釈により、不可能で あるという見解に達しました。 《最後の言葉 −−BMGの解釈−−》 「一生かけて言わせてみせるっちゃ。」「いまわの際にいってやる。」、 「一生痴話ゲンカ続けるつもりか、おのれらっ!!」「だっちゃ!!」。 最後の最後のやりとりです。このシーン、僕としては取り方は二通り見つかって ます。「一生痴話ゲンカ…」の後の「だっちゃ!!」から、永遠にこの世界が続くと いう物と、「一生かけて…」「いまわの…」から、とうとう時間が動き出した、う る星の世界が終わった、と取るものです。それで、自分はどちらを、と言うと、後 者を採ってます。 無時間のこの世界、時間概念が無いのですから、そのままでは区切りなどは付け 様がありません。しかし、物語には、いつか終わりを決めてやらなくてはなりませ ん。一対どうすれば終わりを定められるのか…。やはり、止まっている時間を動か してやる他無い様に思います。グルグルと同心円上を回っていたそれまでから、フ ッと、軌道がずれて、螺旋へ移行するんです。 うる星の登場人物には、みな過去があります。17才という円周の内側は、ちゃ んと存在するんです。ところがその外側は無です。通る予定の軌道さえも在りませ ん。本来ならばその円運動は、少しずつ半径を大きくして行き、同じ所を二度通る 事はありません。それを、うる星やつらの世界では、いつも同じ所を通らせる事に よって、無理矢理時間を止めていたんです。17才という時をずっと終わらせない 為に。 しかし、意思を持った人に対しては、物語の中でさえ、その心理の変化を止める ことまでは出来なかったんです。時間だけ止めても、時は止められない…。こんな 事を感じます。 《BMGの後? −−うる星の世界−−》 『ボーイ ミーツ ガール』の後、もう物語を続けることは不可能でしょう。あ たるが事実上ラムに好きだと言い、時間が動き出した。その時点でもう、うる星や つらという無時間世界は存在し得なくなります。 「時間が動き出した」。もし、時間の動き出した世界を描いたら、それはもう、 『うる星やつら』の世界ではありません。うる星の、ラムや、あたるや、面倒や、 しのぶや、桜や、チェリーや、そして多くの登場キャラの世界は、 『17才で時間の止まった世界』 なんですから… 94/7/28 阿修羅