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#1841/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QEG72756) 94/ 8/18 0:31 (101) 感想>「1orW」って何だろう? 飛鳥 杏華 ★内容 サンデー36号の特別読み切り「1orW」、とりあえずは楽しませてもらいま した。特に、若田部先生のノリがいいですねぇ。いまどき珍しい熱血青春先生。ま あ、あのノリで指導される生徒の方はたまったものではないかもしれませんが、端 から見ているかぎりでは憎めないキャラクターですね。(笑) とまあ、それはいいんですが、私もマッシャ・アッキーニさんと同様に読み終っ たあと何とも言えない感覚に襲われて、何と言っていいのか、解けそうで解けない 問題に悩む生徒のような感じでした。 これは恐らく、私やマッシャ・アッキーニさんのように、作品に対する読み方に おいてある一線を超えてしまった人にだけ感じられるものなんでしょう。ある意味 で禁断の領域に踏み込んでしまったのかもしれません。(^_^;) まず、「1orW」というタイトル。けもさんとしては珍しい感じのタイトルで すね。むしろ、あだち充氏が好んで使いそうなタイトルのような気がします。 その印象もあったのかもしれませんが、前半の霊安室のところなどは、「タッチ」 で和也が死んだシーンとイメージがダブリました。しかし、全体としてはつい先日 の「らんま」の仕返し人形編がオーバーラップしますね、やはり…。 体を他人にのっとられた話ですから、当然といえば同然だし、渚の雰囲気もあか ねを思わせる部分があって、恐らく批判的な見方をしてくる読者は、これを「ネタ 切れ」だと言って突いてくるのではないかと思います。 でも、私などは似てるからこそ「何かありそうだな」と感じたりします。かつて の「百年の恋」と「らんま」の真之介編で「ある人を助なければ」というポイント が一致していたり、「専務の犬」のカンナと「らんま」のひな子先生(アダルト) が同じ絵だったりというのには、それぞれ深い意味があったと思っています。 そう考えると、今回も仕返し人形編と何らかの共通する意味が込められているの ではないかと考えられるんです。それだけでなく、剣道ネタということ。そして、 マッシャ・アッキーニさんが指摘していたように、若田部先生のノリが九能を思わ せるものがあるという点。また、時期的に劇場版アニメとのからみなどから「鳳凰 剣編」とのかかわりも感じられます。 今回のキャラ名で気づくのはタイトルになっている2人、一柳と若田部がともに プロ野球ダイエーホークスの投手の名と同じであること。けもさんは、阪神ファン だし、つい最近もサンデーのもくじでタイガースファンを自称してますから、何で ここでダイエーが出てきたのかもちょっと引っかかったりします。 「ホークス」→「鷹」→「鳥」。う〜む、でも、それだったらヤクルトでもいい のかな。(笑) しかし、若田部先生が、宮本1人を特に期待をかけて鍛えようと している点など、何か特別な意味がありそうな気がします。以前、「鳳凰剣編」に ついてマッシャ・アッキーニさんがOLTが語っていたあることが頭をかすめたり しました。(その詳細は、いずれ彼が書いてくれるでしょう。笑) とにかく、渚を救えるのは宮本だけだと言って、宮本をその気にさせ、ついに1 本とった宮本に対して、思い残すことはないと言って去ろうとした若田部先生。こ のあたりに何か強烈に意味の深さを感じます。この二人が「先生」と「生徒」の関 係であることも何やら意味深です。 それはやっぱり、先生=高橋留美子、生徒=読者という図式でしょう。この図式 で読むと、渚に乗り移った若田部先生が「こんなに慕われてたと知ったら、先生喜 ぶだろうな」と言っているあたりは、ものすごく意味深になります。(笑) 私は昨今、「けもさんは作品解釈において、読者という名の生徒の珍答、奇答を 楽しむ教師のような感じだ」ということを書いた覚えがありますが、まさにそんな 感じですね。 練習不足さえ解消すれば実力はある宮本。それはつまり、作品を積極的に読むと いう経験を積めば読解力のある読者であって、先生(けもさん)は、その宮本(読 者)を「鍛えなきゃ」という一心で渚の体(「らんま」という作品、あるいはその 他の作品を含む)に乗り移った。 そして、宮本(読者)に自発的に練習(熟読)させ、ついに1本を取らせること (作品解釈において核心を突かせること)で「思い残すことはない」と言って去ろ うとした。でも、もとに戻っただけで去らなかった。(笑) ここでただ1人、目をかけられて鍛えられている宮本が、果して特定の1読者を 示しているのか、ある特定の読者層を示しているのかはちょっとわかりませんが、 現在のところでは、そんな感じに読めるのです。 一方、渚という少女の存在も重要ですね。雰囲気として天道あかねに似たものを 持っています。この読み方にあてはめるとすれば、天道あかねか「らんま」という 作品(あるいは、るーみっく作品全般かもしれません。)を表す存在ということに なるでしょう。 この渚は、宮本が若田部先生のノリについて行けず、合宿を逃げようとしたため に死にかけることになります。つまり、読者が現在のけもさんのノリについて行け ず、読む気をなくして逃げようとしたために、あかね(あるいは、「らんま」とい う作品)が死にかけたという状況でしょうか。一緒に若田部先生(けもさん)も死 にかけているということも忘れてはいけませんね。 結局、宮本はついに先生から1本を取り、先生は渚をもとに戻して去ろうとした。 これは、「らんま」をもとに戻すこと、すなわち、乱馬をヒーローに、あかねをヒ ロインに戻して終らせようとしたという図式かもしれません。しかし、終らなかっ た。終りたくなくなってしまった。読者を鍛えることに楽しみを見いだしてしまっ たけもさんは、その後もずっと「らんま」で読者を鍛え続けることになってしまう。 (笑) とまあ、こんなだったらまた面白かろうということで…。最後の方はかなり無茶 苦茶になってきましたが、「仕返し人形編」のあとだけに、どうしても自分と切り 離して読めないということがありますね。 とりあえず、いまのところはこの辺まで。まだまだ要素しか見えない状態です。 この作品の読後のあの何とも言えない不安のようなものって何だったんだろう? 「1orW」って何だろう? 答えは簡単には見つかりそうもありません。(^_^;) QEG72756 飛鳥 杏華