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#1920/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (YUD09175) 94/10/ 4 3:49 ( 90) 考察>RE#1919 本当に悪循環だと思う マッシャ・アッキーニ ★内容 《altjinさん》 ども、未だにATOK6NRで頑張っているマッシャ・アッキーニです(^_^)。 まず最初に、「現代の英雄」で述べられたことに対して、私は概ね同意見だと いうことを断っておきます。#1918は、事の複雑さを確認することが目的でした。 altjinさんの言われることは理念としては尤もだと思いますし、むしろ積 極的に評価したいくらいなのですが、現実にそれが可能かどうかをあえて疑問視 するという観点から#1918は書かれました。 「民主主義」と括弧付きで書いたのは、今の日本で本来の意味での民主主義を 実現することは不可能だろうという前提で、今の日本が主張するところのものを 便宜的に表現したものです。そこで言いたかったことは、我田引水のようで恐縮 ですが、altjinさんの言われる、 > 「日本人は集団主義と民主主義を取り違えていないか、民主主義の美名の元に > 集団主義という怪物が手付かずで残されてしまっているのではないか」 ということとほとんど同義です。前回はこの部分が欠落していたので、あえてあ のように問い掛けさせてもらいました。今回、altjinさんが民主主義の実 現に対して、決して楽観しているわけではないということが分かったのでよかっ たです。 > >集団主義が常に個人主義にまさるという思想・物語を欲したのは、受信者= > >大衆ではなかったでしょうか? > 私はNoと言います。 うーむ、そう思われますか。実は私もNoといいたい。しかし大衆が、そうい う「手安い甘美さ」を与えられ続けることに迎合し続けたのも事実です。また、 マス・コミュニケーションでは、受信者=発信者のようなものです。抗議がある から自主規制なんてものがあるんだし、人気がなくなれば打ち切りあるいは方向 転換をする。旨いものを寄越せと言う受信者が悪いのか、自負を持てない発信者 が悪いのか、こんなのは、どちらかに確定できるものではないと思いますけど。 > 利益のために進んでそれを流す武器商人・麻薬商人・民族主義的アジテーター > のような存在があり、彼らがその行き着く先を知らずに刹那的目的で広めてい > るものだと私は考えます。 現実問題、利益を優先させるのが当たり前になっています。それに逆らってま で自らの信ずるものを貫くことができる者は稀有でしょうね。この問題が困難で あると思う所似です。 > いわばまだ成長途中の子供のような状態 どんどん悪化していると思うのは私の気のせいなのかな? > この悪循環が戦前の大日本主義蔓延と同質のものであることに気づかれないで > しょうか? だから私は「まだ戦争は終わっていない」とかつて書いたのです。 戦争はまだ終わっちゃいない、私もそう思います(一部を除く、国内における 戦争に関する規定を無くしただけだ)。 私が言いたかったのは、それが「悪循環」であるがゆえにタチが悪いというこ とです。本当に「改善」できると思われますか? 私はそう簡単にはいかないと 思います。それは、気付くのが遅すぎたからです。 > 経済システムに由来するものではなく、「歴史」に由来するものです。 あれ? 私が書いた、 > 今まで築かれてきた経済的繁栄を支えるシステム自体が、そういったものを生 > み出す方向性を持っているように思えてなりません。 のことを言っておられるのでしょうか? だとしたら、これは「経済システム」 を指してはいませんよ。「今まで築かれてきた経済的繁栄」…を支える「システ ム」、すなわち「歴史」が徐々に作り上げてきた「世の中のしくみ」のことで す。「システム」としては、もっと広義のものですね(言われてみれば、文節の 区切り方によっては「経済システム」と読めなくもない(^_^;)。えーん、すみま せんー)。 > この前提共同体を変えるにはどうすれば良いのか? 国民1人1人がそれに気 > づき「個」を各々が実現すること、 altjinさんと私の話が噛み合っていないのは、恐らく、私がこのことを 可能だとはこれっぽっちも思っていないせいだと思います。だからaltjin さんのように「ドン・キホーテ的な夢想」を維持できないんですね、多分。 本質的にニヒリストなのかも…。 P.S. > 1つの作品は異なる前提共同体レベルでは異なる意味を持ちます(^^)。 そうですね。「前提共同体」に誤った認識が含まれるときでさえ、その解釈は その「前提共同体」にとっては、原理的に正しいといえるのですから。 > ところで「ブラフ」って何ですか(^^;? 【bluff はったりをかます。だまして…をやめさせる。】 #1765の例の部分が、わざと突拍子もない解釈をぶつけることによって、 飛鳥さんの解釈を相対化、あるいは否定するものだったのではないかと思えてき たのです。違っていたらごめんなさい。 マッシャ・アッキーニ