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#1921/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 94/10/ 4 23:29 (105) 考察>RE#1920 矛盾を生きる私です(^^; altjin ★内容 ども、マッシャ・アッキーニさん(^^)。 >私は概ね同意見 実は、私は些細な点で(何度も読み返すうちに)拙いと思える点がいくつか 見えて来ました(^^;。例えばセーラームーンは集団ヒーロー主義のパロディで ある点で、むしろそれの批判として機能するのではないか、とか、日本の政治 がうまくないのはむしろ「政治家が特定地域の利益に依存してしまう」からで はないか、とか、民主主義批判は「規模における限界」を主に考察すべきでは なかったか、とか、まあいずれにしてもあくまで踏み台的な粗削りな考察であ り、後々批判し超克すべき多くの点を含んでいるものだと私自身は考えている ことは覚えておいて下さい(^^;(ただし、「他者依存性」に関する部分はおそ らくまず変わらないでしょう)。 >旨いものを寄越せと言う受信者が悪いのか、自負を持てない発信者が悪いの >か これについては該当RESの後半で「無自覚にその思想を再生産する人々も 悪いが、それを無批判に受け入れる大衆も彼らを批判出来る状態ではないので はないか」というような流れで展開でされています(^^)。 なお、マスコミについては私は2つの前提共同体に今現在注目しています。 1つは戦後に手塚治虫先生の影響下で作られたもの、もう1つも奇しくも同じ 手塚治虫先生のアニメ鉄腕アトムによってスタートしたもの、です。かつては 「地域的近さ」が前提共同体形成の主要因だったのが、この2つの流れすなわ ちマンガとアニメによって「地域によらない前提共同体」が形成されたのでは ないか、ということです。このうち、マンガの方は享受者の能動的努力を要求 するのでそれ以前に地域的前提共同体が彼のうちに形成される機会が多分にあ るのですが、アニメの方がその以前に子供たちの基本前提共同体となってしま う可能性が高いのではないかと考えました。私たちの頃はまだ学校生活という 前提共同体形成の場が機能していたのですが、今は塾&ファミコンでそれも徐 々に力を失いつつあるのではないか、といったようなことを考えたりしていま す(^^;。 >利益を優先 今現在はバブルの崩壊を起因として、利益優先主義のもたらす弊害に徐々に 人々が気づき始めているのではないか、という感じがします(^^)。実際、利益 至上主義は今や破綻しつつあります。今はまだ自然にその矛盾を押し付けるこ とで私たちの目の前にはそれは現れていませんが、地球ももうじきに限界点に 入ってしまうでしょう。永遠の発展など不可能ですから、永遠の循環の方に注 目すべき時代が来ています。陰陽太極図や自然のサイクルのさらなる研究が必 要になるでしょう。純粋に精神的な欲求だけが限界を知らないのですから、物 欲を精神欲に転化する必要があります(精神的創造力に限界はありません。物 質的利益を政府の管理下におき、精神的利益から余剰を取るようにすればある いはこの難問も解決するかも知れません、単なる思い付きですが(^^;。バーチ ャルリアリティやマルチメディアという下地は出来つつあるので、まったく不 可能ではないでしょう、きっと(^^))。 >悪化 悪化すればこそ問題点が露見し、治療が可能になるわけですから、問題が潜 伏しているよりはマシだと私は考えます(^^)。そう、何らかの対策を検討しな ければ回復不可能な方向へと日々向かってはいます。私はその原因の1つに思 想の拡散と相対化による確実な足場の喪失があると考えたので、ゲーデルや現 代思想を(おおざっぱにですが(^^;)調べた上で前提共同体仮説を打ち出しま した。これはラングすなわち意味体系の本源となる仮説体、オブジェクト指向 的階層化を加味することで「相対化における構造性」を提示するものです。そ の本系は表層意識から超越意識へと向かう「無意識内の階層」ですが、その水 面鏡写として現実の様々な社会モデルが形成されている、と看做します。すな わち、 「前提共同体は(カオスである)現実を(コスモスとして)規定する」 とします(これに対する論拠および有効範囲がいまだ不明であり、それゆえこ の部分は触れられませんでした(^^;)。実際、私がこの悪循環が止められるか も知れない、と楽観的になれるのはこの仮説の発見によるところが大です、な ぜなら、「誰を治療すれば良いのか」が明らかになったからです(^^)。 >「歴史」 なお考えると、どうもこの悪循環は「いきなり与えられた民主主義を日本は 消化し切れないでいる」ことが根源のように思えて来ました(^^;。すなわち、 「現実の体制と思想との剥離」です。このために思想は現実へ働きかける力を 失い、現実も思想へ結実する動きを阻止されているのではないか、ということ です。まあ、いずれにしてもまだ「明治体制」を克服し切れてはいない、と考 えて良いかと思われます(富国強兵の無理がいまだに尾を引いているといった 感じでしょうか(^^;)。 >可能 すべてに「時」があります。正義も時を得なければ犬死にに終わり、悪も時 を得れば栄えることが出来ます。どんな無謀な企ても時に乗れれば信じ難い大 成功を収め、どんな綿密に練られた企ても時を失えば机上の空論です。だから 私は諦めも無理押しもしません(^^)。これは世界観の違いですから別に押し付 けるものではありません(^^)。ニヒリストなればこそ見えて来る物事もあるで しょう、どうぞ御自身の信じる道をお進み下さい(^^)(勝手なお世話か(^^;) 。 >「ブラフ」 了解しました(^^)。ちなみに私が特に飛鳥 杏華さんの解釈の相殺を意図し て出したものは3つだけ、 ・らんまキャラ変化に関する考察−>らんま終了説批判 ・五寸釘=あかねファン説 ・めぞんの「不条理」による解釈−>モラトリウム批判の批判 各々、「けも先生に対して失礼なものである」「自分たちに対する批判を他へ そらそうとする意図の可能性があり得る」「モラトリウムの渦中の人々すなわ ち現に悩みのうちにある人々に対して酷すぎると思われる」理由から相殺によ る相対化を図りました。 その他のものはすべて、「私の中の乱馬×あかね派説得」を第1目的とする ものであり、飛鳥 杏華さんの解釈とはほとんど関係ありません(^^;(例の真 之介編の第2解釈ですらそうです(^^;。それを批判と取るかどうかはあくまで 飛鳥 杏華さん御自身の問題であり、私自身の最大の興味は「そう読むとこれ までになく真之介編が明快に読める」点にありました。すなわち、その解釈を 起点に飛鳥 杏華さんを弾劾する意図は私にはなかったし、今でもやはりあり ません(^^;。もしその解釈が仮に真実に近いものであったとしても、それはけ も先生と飛鳥 杏華さんとの問題であり、私の問題ではありません、私はただ 単に「その可能性がある」と警告を発するだけです(^^;。そして現在はもうそ の「可能性」に飛鳥 杏華さん御自身が気づかれたのであり、従って今後はも う私が警告を出す必要もないわけですから、そのような活動は(もちろん、妥 当でないと思える考察に対する批判は別ですが)しないでしょう(^^;)。 altjin