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#1961/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 94/11/13 16:47 ( 55) 感想>今週のらんま「かすみさんが怒った」 altjin ★内容 「だるまさんが転んだ」(^^;・十字架・菩薩・バラ・白黒で×はその逆の肩 掛け・奥が深い(ディープ)・・・かすみにaltjinを示す象徴となり得 るものが集中しています(^^;。 トビラ絵、買い物袋の内容はまとめて見ると「男のもの#^^;」となることは 気づいた方は少ないんじゃないかナ(^^;? レッド・ツェッペリンのジャケッ トで同種の暗喩があるので、私はレモンの配置の不自然さからすぐにそれに気 づきました(^^;。 あと、これは読み過ぎかも知れませんが、私は髪型等の雰囲気から「ファイ ブ・スター・ストーリィーズ」の男女である主人公レディオス・ソープ(アマ テラス)を連想しました(^^;。 しかし私は何も怒っていません(^^;、この対応は一体何なんだらう(^^;? ちなみにここで展開されている「菩薩」は一般のそれで、仏教上の定義とは けっこうズレがあります(^^;。 真の菩薩(仏陀も)というものは、「怒りたければ怒り、泣きたければ泣き、 笑いたければ笑い、食いたければ食い、寝たければ寝て、やりたければやる」 という存在です(^^;。彼はすべての執着を離れている(ただし、「菩薩」は意 図的にいくつかを残している)ので、どんな価値観にも縛られません。「菩薩 というのは怒らないものだ」という世間での肯定的価値ですら彼にとっては執 着であり、それによって自己規制されているのなら彼は「菩薩」ではなく「菩 薩を偽証する偽善者」、臨済和尚に言わせれば「地獄へいの一番に落とされる 者」とされるのです(^^;。 でも、「菩薩」は普通は怒りません。というのは、彼は怒りの主な原因であ る「プライド」とも「絶対的価値」とも無縁だからです。彼は世界に何も期待 していないので、まったく裏切られません。「世界に期待する」ことは、すで に自己のうちに「あるべき世界」像があって、現実とその「根拠のない夢想」 とを比較し現実の方を否定するという、自己中心的・自己絶対的な発想である ことを知っているからです。 「菩薩」の慈愛も、「それが正しい、良きことだから」満ちあふれているわ けではありません(^^;。実際には「菩薩」は他者へ介入しがちなので、ある意 味ではむしろ「他者破壊的」存在です(^^;。また、他者のあるがままを否定し 自己の理想を押し付けるという点でも「沈黙の行者」よりも「慈愛」という点 で劣るとも言えます(^^;。彼はおそらく、エンパス能力・他者の感情を自身の 心身に鏡のように映す能力があるのでしょう。彼はいわば「他者の喜びを食う バク」のような存在なのです(^^;(私はそうなのであるいはそのように見える かも知れません(^^;。小学生の頃に胸のチャクラが爆発炎上し、その後の魔法 修行でいくらかのエンパス能力があります。隠さねばならないほどの強い感情 はむしろそれゆえに私の心身にかなりのダメージを与えてしまいます(^^;。私 が闘争に向いてないのは、加えて私自身が「自己否定」型であり「男が好き」 だからです#^^;。考察「これが乱馬の心だ!」での精神構造は私のそれでもあ ること−−ただし、私は「男としての」自分にも否定的(^^;−−、らんまが自 己をあかねへ投影することであたかも乱馬があかねを愛しているように見える こともまた、私のらんまへの愛と同質であることがわかりました(^^;)。 ラストの「めっ」は神秘学での「マスターが弟子の第3の目を開こうとする 技法」に似ています(^^)。これはまたマスターのエネルギーを弟子の心に入れ るものでもあり、あるいはここでかすみの「女としての心」が乱馬の中にさら に注入されたのかも知れません(^^)(これは、けも先生の無意識内での象徴的 儀式、かすみの特性が乱馬へと移されるという、かも知れない、と言うことで す(^^;)。 altjin