SIG るーみっくわーるど SIG るーみっくわーるど」は、漫画家 高橋留美子先生(るーみっくわーるど)の作品が好きな仲間が集まっているグループです。 るーみっく好きなメンバー間コミュニケーションのためのチャットや掲示板の提供、るーみっく系イラスト・小説・リンク集の公開などを行っています。 オフ会も不定期に開催されています。1992年6月にPC-VAN上で誕生した歴史あるグループです。
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投稿日時:1994/12/30 1:47 投稿者ID:VGJ14895
#1996/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (VGJ14895)  94/12/30   1:47  (141)
考察>(「なびき対火車王編」:その3)   雨宮伊都
★内容


  III さみしい夜の鵺[つぐみ]


 第一話「火車王の挑戦」は、冒頭から私を打ちのめしてくれました(二月二日の朝ま
だき、某CVS内で、サンデー本誌9号掲載のこの話を立ち読みしたとき胸におぼえた
衝撃は忘られません)。ラブレターでデートを申しこんできた男子に奢らせ、貢がせ、
さんざ美味しい思いをさせてもらい、さて別れ際には「もう会わない方がいいみたい」
と宣告、剰[あまっさ]え、あらかじめ大量にコピーを取りおいたラブレターを差出人
自身に売りつけるなびき! とどめに入るナレーション−−

 天道なびき17歳 乙女心はない。

 一見一読のかぎりでは、そうかやっぱりなびきは百パーセント守銭奴だったのか、と
思わされます。しかも手際のよさからしてこれが初めてではなく、これまでにもかなり
の数の男どもが、尻尾振りふり寄ってくるのを体[てい]よく手玉にとっていた容子[よ
うす]。「あたし、ペットの扱いには慣れてるのよね。」−−アニメ『らんま』劇場版
第二作での、こんな彼女の台詞[せりふ]を想いだされた方もいらっしゃるやも知れま
せん。ああ、可哀そうな匿顔の少年。女ミルヴァートン(コナン・ドイルの短編集『シ
                      ``
ャーロック・ホームズの帰還』を参照されたし)に弁護の余地なし。−−と、本当にそ
う思ってよいのでしょうか?

 否[いな]、です。前章で先触れしたように、なびきに「乙女心」は冗談でなく存在
しています。ただそれを、彼女は偽悪のヴェイルで韜晦するのです。そんじょそこらの
他者に容易[たやす]く窺い知られたくはないゆえに。よく読み返してみてください、
この二ページ分の描写を。ひとつ不思議な腑[ふ]におちぬ箇所が発見されませんか?
こんな疑問はどうです?−−「なぜこの少年A(仮名。青年かな?)は、自分がなびき
に宛てたラブレターの公表されるのを惧[おそ]れなくちゃならない?」

 固[もと]よりこの取り引き(「強請[ゆすり]」と呼ぶほうを好まれるならご自由
に)に応ずる必要はないはずです。「買ってくれる?」などと理不尽な問いを投げかけ
られたならば、まず「なぜ?」と訊き返してもよいではありませんか。

 「なんで買わなきゃならない? バラ撒きたけりゃ好きにしな、こっちはちっとも困
らないよ。その手紙に篭めた気持ちにウソはなかったんだから(みんなに読まれて多少
ハズカシい目を見るのがなんぼのもんだ!?)。でも分かんないな、きみのほうは一体、
そんなことしてどんな得があるんだろうね。」

 心に疚[やま]しいところのない人間だったならば、こう返事をして然るべきでしょ
う。「疚しいところのない」とは、ここでは「本気でなびきに惚れていた」の意味です。
自分が本当に好きで好きで堪らない女の子とデートしながら、胸の裡でいずれと言わず
今日今宵にでも彼女とナニしたい(「ナニ」とは「アレ」の謂[いい]です。よくお解
りにならぬ方は五代裕作さんにご質問ねがいます)とか思うのは−−ただ思うぶんには
−−責めらるべき底[てい]のものではない、と私は考えますから。上に掲げた言葉は
あくまで私ならこう返すという例であるにせよ、少なくとも、「買ってくれる?」と問
いかけられて間[かん]、髪[はつ]を入れず大声で「いくらだ!?」と訊きかえすなぞ、
どうも尋常な反応とは見做[みな]しがたい。少年A(仮名)にはやはり、何らかの「疚
しいところ」があったのではないでしょうか。例えば、「本命」の女の子が別にいたの
だとしたら? 「二股がけ」というヤツ、ありそうなことです。某教典にいわく、「人、
二君ニ仕[ツカ]フルコト能[アタ]ハズ」。早乙女乱馬いわく、「女心をもてあそぶ
くされ外道」(笑)。そうだとしたら、蓋[けだ]しなびきが別れ際にA(仮名)に守
銭奴然たる言行を示したのは、一種のテストだったと考えられはしないでしょうか? そ
してその結果、彼の正体−−「くされ外道」!−−が見極められて、彼女は色にこそ出
さね、内心ふかい失望を覚えたのではありますまいか。

 −−ずいぶんまあ色々と、こっちの言うままにハイハイと奢ったり、買ったりしてく
れたけど。最後にひとつ試させてもらうわよ。−−
 「悪いけどもう会わない方がいいみたい。」−−さあ聞かせてもらいましょうか。あ
んたにとってあたしは、どんな存在?−−
 「そ、そんな、金遣わせるだけ遣わせといて。」−−ふーん。やっぱりそーゆー本音
なんだ?−−「いや、金はいーんだけど……」−−遅いの。……ううん、そう、今のぐ
らいならまだ大目に見て、聞かなかったことにしてあげる。だから……−−
 「あなたのくれた素敵なラブレター、」−−最後のチャンスよ。モノ扱いじゃない、
純粋にあたしのこと好きなんだって証明してちょうだい。−−「コピー一杯とっちゃっ
た。」−−おねがい言わないで、−−「買ってくれる?」−−買おう、なんて!−−
 「いくらだ!?」

 あの一連のやりとりの裏の、なびきの心理をこんなふうにパラフレーズしてみるのは
想像が奔放に過ぎるでしょうか? 粘着質のリリシズムよと謗[そし]りを受けるやも
わかりません(この手の書き方の欠点です。こちらの意図を伝えるには一等早道なので
すが)。−−嗤[わら]わせる。いくらお前がそんな痴[たわ]けらしいパラフレーズ
をつけ足したとて、現にテクストには「天道なびき17歳 乙女心はない。」と厳然たる
ナレーションがある。これぞいわゆる神の声、すなわち作者自身による、なびきという
キャラクターの説明に他ならぬではないか。−−そんな反論を聞かされそうな気がしま
す。

 しかしです、もしこのナレーションが、神の声などではないとしたら?

 実はこの二ページの描写は、「神の視点」からなされているのではないのです。正確
には「天道なびき17歳 乙女ざかり。」のコマから「天道なびき17歳 乙女心はない。」
のコマまで。お気づきになりませんか、これらに描かれているなびきとA少年(仮名)
の姿は、作中のある人物がその視界に捉えていたものなのだと(最後の二コマだけは無
論、なびきの視点で描かれています)。他でもない、なびきが「ぴしぴしぴし」と感じ
た熱視線の主、「ここ数日きみを見ていた。」と後日彼女宛ての果たし状の中でまさに
告白している、火車王金之介当人です。とはつまり次のようなことになります−−金之
介のカメラアイで追った光景であれば、三箇所のナレーションもまた彼によるものであ
り得、すなわち「乙女心はない。」とあるのも、『らんま』世界の創造主自身によるな
びきのキャラクター設定などではなく、単に金之介が短期間観察のすえ示した皮相的見
解に過ぎない、と見做すことが可能なのです。

 なるほど、この冒頭デート場面に金之介は、その姿形こそどのコマの中にも片鱗だに
描きあらわされてはいません。彼が台詞とともに登場し、(読者の前に)おのが存在を
明らかにするのはその次の場、なびきが乱馬に謎の監視者を捕まえてくれと依頼する甘
味処内のシーン、最後の二コマです。さてこの二ページは間違いなく、最後の二コマ以
外すべてが金之介の視点から描かれています。それはご納得いただけますね? さりな
がらここで、彼自身の口から(フキダシとして初めて)出る言葉の中に、先のナレーシ
ョンにおいて二度使われた「天道なびき17歳」なるフレーズが、またもくり返されてい
るのは意味深長というべく、これは冒頭のナレーションの主が金之介に他ならぬことを
暗示するものではないでしょうか。可能性、疑いの域を出ぬとしてもそう疑いうる以上
は、私がパラフレーズしてご笑覧に供したような「乙女心」などなびきにはない、と作
者自身が設定しているかどうかは断言できぬはずなのです。

 結局、A(仮名)はなびきの期待に答えてはくれませんでした。彼は相手の、偽悪的
韜晦のヴェイルを剥がすことはおろか、その向こうの素顔を透かし見ることすらできな
かったゆえに、即座に商談に応じることで彼女の期待を裏切り、彼女の心を傷つけて去
っていった。彼女は夜の闇のなか、独りさみしい守銭奴のままに残される。あかねが乱
馬に救われたようには彼女は救われなかったのです。そして傷ついた心を見せまいと、
なびきはヴェイルの厚みを増す。心をより堅く鎧[よろ]う。そこへまた、彼女を守銭
奴としか見ない一人の男があらわれ、彼女に一層手ひどい裏切りを味わわせた。これに
よって、彼女の復讐の泥沼勝負への道が開かれることになったのでした。奈落の底の深
さと暗さをあわせ具した10円勝負への……。


 〔付記。「偽悪的」韜晦の好例をお求めの方には、大下宇陀児[うだる]のミステリ
ー短編『偽悪病患者』(『烙印』国書刊行会刊ほか・所収)や、シャルル・ボードレー
ルの散文詩−−掌編[コント]とも呼びたい−−『貧乏人を殴り倒そう!』(『パリの
憂愁』福永武彦訳・岩波文庫版ほか所収)を読まれることをお薦めします。またボード
レール本人やジャン・コクトー、あるいはアレイスター・クローリーといった実在の人
物も、偽悪的韜晦者の範疇に入れてよかろうかと思います(クローリーは些か「やり過
ぎ」だったやもしれません)。一方かすみの韜晦については、彼女とおなじとは言いえ
ずも比較的似た、と感じられる仮面被り的な例を少女漫画(笑。なぜこうも、われなが
ら不思議な偏[かたよ]り方をするんだろう?)に求めてみれば挙がってくるのが、新
井理恵・作『×−ペケ−』の岡本夢路[ゆめじ]、『脳髄ジャングル』のまり坊こと永
井真理[まさみち]、わかつきめぐみ・作『So What?』の暮里阿梨[くれさと
・あり]、渡瀬由宇・作『ふしぎ遊戯』の井宿[ちちり]など、彼女・彼いずれも皆、
「ニコニコとしていて傍目[はため]には平和と映る」という点においては互いに、そ
してかすみとも共通するキャラクターです。しかしながら、こうしてサンプルを列[な
ら]べたてるよりも先に指摘すべきだったでしょうか、固よりなびき、かすみの実際の
創造[うみ]の親にあたる女性こそ、両人に増して偉大なる「韜晦者」に他ならぬこと
を?〕

 〔付記二。「裏切られた女による、裏切った男への復讐劇」を象徴するとおぼしきも
のを、第三話「地獄の10円勝負!」に見いだしたので指摘しておきます。乱馬に手刀で
破壊された、「愛の泉」の噴水装置(単行本169ページ)。蛇にとり巻かれた釣鐘を
象[かたど]ったこれは、まさしく清姫[きよひめ]・安珍[あんちん]の『娘道成寺[む
すめどうじょうじ]』ではありませんか。〕


                                (本稿終わり)
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