SIG るーみっくわーるど SIG るーみっくわーるど」は、漫画家 高橋留美子先生(るーみっくわーるど)の作品が好きな仲間が集まっているグループです。 るーみっく好きなメンバー間コミュニケーションのためのチャットや掲示板の提供、るーみっく系イラスト・小説・リンク集の公開などを行っています。 オフ会も不定期に開催されています。1992年6月にPC-VAN上で誕生した歴史あるグループです。
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投稿日時:1995/ 6/ 1 0:36 投稿者ID:XGM38132
#2196/3141 るーみっく☆わーるど
★タイトル (XGM38132)  95/ 6/ 1   0:36  ( 78)
感想>RE:2190:仰る事は解ります                  by阿修羅
★内容

 まず。
 前から思っていたのですが、「畢竟」と言うのは何と読みどういう意味なのでし
ょう (^^;)? どうも辞書にも載っていない、と言うか読みが解らなくて漢和辞典
にも字が載っていないものですから (^^;)、いかに大辞林があっても調べようが無
いのです (^^;)。

 では本題に。

> ……そうかな? 「かわいくねー」とか、「色気のねえ」とか、「ずん胴」とか、
>そうした憎まれ口は健在だと思いますよ。単行本だけじゃなくって、ひとつ『サンデ
>ー』本誌にも目を通してみてください(最近じゃ「変態少年編」−−一名「ちち編」
>(笑)−−とか、鏡から女乱馬のコピーが飛び出してきたシリーズとか。いやホント、
>既に明らかに「以心伝心」「完全に出来上がっ」ているにもかかわらず、それでもな
>お何故か相変わらず、「じれった」くて「もどかし」い二人ですよ)。
 憎まれ口が少なくなったんじゃないかと言うのは僕の主観的な感想なので、実際
の所は調べてみないと解りませんね。でも、雨宮さんが仰るんだからきっと今でも
乱馬君は以前変らずなんでしょう。
 今の二人のじれったさですが、これと言うのは年長者の視点なんですよね。うる
星、めぞん、らんま前半に見られる、登場人物と対等の視点から描かれた物ではな
いと感じるんですよ。前に駄文書き連ねた中に、自分は感情移入してその登場人物
の視点から作品世界を見るのが好きだ、という事を言いましたが、現在のらんまは
根本的にそれが出来る物ではないです。筆者の視点、が自分とは違う場所にある事
が諸に判り過ぎるんですよ。自分が感情移入する事で作者に操られるのは構いませ
んが、その最中に「糸」が見せられるのはね。これは嫌ですね。

>「男は東風先生以外嫌い」だったということに過ぎず
 そんなに重い意味を言いたくて男嫌いを引き合いに出した訳ではなかったのです
が、それは仰る通りだと思います。

>(つまり、本人の自覚及び周囲のキャラクターの見方・捉え方は、必ずしも作中に
>おける実際の姿−−すなわちけも先生自身の設定した性格−−であるとは限らない
>のです)
 それは心得ているつもりです。

>だから「設定その物を白紙にした」というのは、私には謬見に思えます。
 可能性としてと言うレベルで言ったに過ぎないのですが、そんな事を考えるだけ
の心理的空白を作らせてはくれます。何気なく読んでいても。

>一見スチャポコお気楽なコメディーと目に映っても、よくよく吟味すると実は裏に
>シリアスな、時には悲しいドラマを展開している、ということはあり得るんです。
 星 新一や向田 邦子のショートショートは好きだし、そう言う感覚は分かるつ
もりです。シャンプーとムース、右京、なんかにそう言うシリアスさは感じますよ。
でも、こう言う事を言うとここでフリーズしちゃいますが、僕はコミックにはそう
言う物を求めていないんですよ。
 そうすると今度は、それならどうしてうる星のギャグは認めるのか、と追求され
そうですけど、視点が違うんです、ギャグ一つにしても。いや、より正確にはギャ
グの使い方にそれが感じられる、と言う方が良いのかな。読者の立たされる視点が
うる星は全く違うと思うんですよ。

> そうやはり、優れた作品を最大限に楽しむにはそれなりの努力も必要なんです。
 そう言うアプローチもありますね、としか言えません。それは芸術作品との接し
方の一方策でしかありませんから。
 これには何か深みがある、と敢えて追求するのも、単に自己啓発の触媒とするの
も、芸術と接する在り方としては優劣ありませんからね。

 少し続けます。
 僕は高橋さんの現在の作品である「人魚」を読んでも、らんまに感じる様な作品
世界から自分が疎外されている、と言う印象は受けません。それはやはり、作品の
登場人物と作者の視点が同一の位置にあるからではないかと思います。
 そうすると、何故らんまでは高橋さんは作品世界の視点に立っていないのか、そ
れが疑問として出てきます。その答えとして、これは僕の推測でしかありませんが、
高橋さんにとってらんまの、またうる星の世界の登場人物達の世界と世代は、もう
魅力が無くなっている、あるいは感覚の変化の為に、その視点に立っては描けなく
なっているのではないか、と思えるのです。そして、今は「人魚」の世界、登場人
物の視点が、高橋さんにとっては共感と実感を持てるのではないかなと、そう思い
ます。まぁ、結論を先に言ってしまうと、歳をとられたんだなと感じていると言う
事でもあります。
 こう書くと「人魚」の世界とは何ぞや、と言う事になりますが、これはなかなか
難しそうなので、機会があればゆっくり考えて行こうと、思ってます。とりあえず
言えるだろう事は、「人魚」以前は作品世界の外部から見た“時間”を止めていた
のに対し、「人魚」では登場人物自身の、つまり内部の“時間”を止めてしまった、
と言う事ですね。


         うる星の無時間性、めぞんの心理的閉鎖性、人魚の有限性……

                                                    by 阿修羅
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