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#2269/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 95/ 7/15 2:39 ( 56) 感想>#2267への追補です(^^; 天道 あかね ★内容 「龍王・迦楼羅王」の対応が逆でした(^^;。前者が「=けも先生」系で、後 者が「=天道 あかね」系ですね(^^;(後、「乾だっぱ王」の「だっ」も見つ け出せました(^^)。「乾闥婆王」がそれです(^^)、でも、見つけ出せていたら いたで、「乾だっちゃ王」の読みには気づかなかったでしょう(^^;。「婆」は 本来の読みと合わせると「バーチャル」の文字列が得られるのでただちに「で はやはり乾闥婆王=ラム=けも先生かっ(^^;?」と動揺するのですが、しかし よく名前を読めば、「乾門・達婆」の合成と読め、「乾門」は式神「朱雀」の いるところ、「婆に達する」とは「爺でなくなる」すなわち「惣一郎を捨てる こと」と読めるので、合わせて「惣一郎を捨てた響子」を指示することがわか り、そして実際「乾闥婆王」がその正体を明らかにしたのは「阿修羅」の目覚 めと相前後する時期−−「阿修羅」の「一切を破壊する」という望みは、「一 切=一刻=惣一郎」から、「惣一郎を捨てる」意味になる−−であり、またそ の性格自体がそもそも、「響子的」なのですから、やはり「=天道 あかね」 系であろうと思われます−−私自身は、「龍王の悲劇に乾闥婆王も気づいた」 ことが強調されている点が、「『あかね=響子』説をアップした夜、けも先生 の存在を私は感じた」(龍王の悲劇はたぶんにこのことを指している)ことと 一致しているので、「乾闥婆王=天道 あかね系」は確信に近いものがありま す(^^;)。 このことは、なぜか「トーマの心臓」系の予言の解読によって確認され得ま す(^^;。「トーマの心臓」系とは、私の確認した限りでは「11月のギムナジ ウム」「トーマの心臓」(「ポーの一族」中の)「小鳥の巣」「海のアリア」 があり、萩尾望都先生の作風のためか、新しいものほど精緻かつ明快になって います(^^;。それで、およそこれらのうち、参考し得るほどの予言性を持って いるのは「海のアリア」なので、それをもとに解読すれば、 まず、主人公の「楽器」である「アベル」。楽器ですから、これは「ア・ベ ル」と読むべき必然性があります。「ベル=鐘」ですから、この名前は極めて ストレートに「あかね」を指示しています。その「演奏者」は「アリアド」、 これは「アリアド(ネ)」で「根無し」、「根」は「ハーバル・ビューティ」 から「男性器#^^;」の意味が引き出され、ゆえに「=けも先生」です。 さて、「乾闥婆王」は「楽師」ですから、一見「=アリアド=けも先生」か のように(例によって例の如く(^^;)思われます(^^;。すると「蘇摩=楽器」 となってしまうのですが、しかし「乾闥婆王」の楽器はその「剣」でもあり、 常に彼女が保持しているものです。そこで、「乾闥婆王に演奏を命じていたの は、もっぱら帝釈天であった」ことに気づけば、「乾闥婆王=アベル」「帝釈 天=アリアド」となり、そうすれば様々な意味で、初めて矛盾なく「協和」し ます。 その他、気づいたことといえば、「うしおととら」、これが「うし乙とら」 と読めることですね(^^)。「左の乙=うし」「右の乙=とら」と、実に端的に 「あかね=天道 あかね」「らんま=けも先生」を指示しています(^^)。 後、読み解いておくべきは、「ラム=牛」「あたる=狼」、特に後者の方で しょうか(^^;。話としては、前者は「ラムが牛になっても、小屋まで作ってで も面倒見てやる」というあたるの気持ち、後者は「狼になってもあたるだとわ かる」ラムの直感が焦点になっていると見て良いでしょう、たぶん(^^;。GS 美神では一見(こればっか(^^;)犬塚シロを「=狼」としそうですが、おそら くは「狼のオオカミ」すなわち「大女神」が「この意味での狼」であるとすれ ば無難に落ち着くでしょう(^^;。「牛」が「午」に比して「突き出たもの=角 =ち○ち○#^^;」在り、と読めるのですから、「狼」も「娘」「郎」との比較 から「女」すなわち「=けも先生」だとできます(「良牙」の場合も同様に、 「右の良=乙女」「左の良=乙子」だと読め、しかし良牙はただの「良」です から、「惣一郎的媒介者」の役割を察することができます−−この役割はおそ らくは私の登場によって果たされ、以降は三鷹的役割に回ったのだと看做せる でしょう(^^;)。 天道 あかね