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#2396/3141 るーみっく☆わーるど ★タイトル (QKM33822) 96/ 2/ 2 0:51 ( 84) らんま>乱馬vsサフラン Samwyn ★内容 最近、妙に「カメリア(椿)」が目に入ると思ったら、これは「C・アメリ ア」だったのですね(^^;(「オートクチュール」も同様、そのCMは東京だけ だったかも知れませんが(^^;・・・)。「椿姫」は、そのパリの高級娼婦の名 「マルグリット・ゴーチェ」が、「マーガレット(○がRET>Θ)」および 「デーチェ(Samwynの昔の現実のあだ名『いくでっち』からの変形で得 られた名前(^^;)」と呼応しているので、S的な関係がやはりあるのでしょう (^^;。相手の「アルマン・デュヴァル」は、「マン>〜彦」から「アルマン> 留美子」、「ユヴァル」がフランス語で「ブドウの」なので、「デュヴァル」 はS的には「武道家」ですね(^^)。「武道>たかみち>高い道」で「橋」のこ となので、「武道家>高橋家」にできたりします(^^;。この「椿姫」は実話が ベースにあって、そこでは「椿姫=マリィ・デュプレシス」「青年=アレクサ ンドル・デュマ(小デュマ)」です。「デュプレシス>2人のプレセア」これ は「プレセア=舞い手=ウズメ」からの呼応、「デュマ=Dumas>馬が2 人(デュがフランス語で『2』)」これは「倍馬>×馬>駆ける馬>RUN馬 >乱馬」と言うわけです(^^;(相変わらず凄い呼応ですねぇ(^^;。ちなみにマ リィは「2人のプレセアの舞いに逢う」ことから、「=獅堂光」になると見做 せます(^^;)。「アレクサンドル」は、「アレックス&留」や「アレックス・ 1$(あかね(^^;)」が出せますが(^^;、「小デュマ」からわかるように彼の 父も同じ名前(「三銃士」「モンテ・クリスト伯」が父の作品です(^^))で、 つまりこの「アレクサンドル」は「乱馬・玄馬」に共通する「早乙女」のこと です。「早乙女>棹留め>棒の先端」「高橋>語源的に高端」との共通項から 得られる読みは「アレクサンドリアの大灯台」が妥当でしょう(^^)。「ルミネ >留美子」を「イルミネート:明るくすること」へ転じるのは「大灯台に火を 灯す『知識』」であり、「イート」はここでは、その大灯台の近くに在った、 古代最大の「アレクサンドリアの大図書館」のことになります(^^)。 「カメリア」は、その読みは「後ろカメ」すなわち「メカ=ツル」も在りま すが、「リア」には「起こす・育てる」の意味もあるので、「引っ繰り返った カメを起こすツル>引っ繰り返っていた対応(裕作が男で響子が女)を元に戻 す(響子が音子:男で、裕作が最後には『音無』すなわち女であることを受け 入れるという構造を明らかにする)者」もおそらくは妥当でしょう(^^;。そし て何より、「椿:つばき>つばさ(『さ』でなく『き』は、ラムの角が4本で あることより妥当:その者がゾフィーよろしく、『誰かに与えるためのもう1 組の翼』を持っていることを示す。その違いが『一』であることから、一刻館 もしくは惣一郎として響子でもやはり妥当です(^^))」であることで、これま でのS的追求をもはや「決定付けて」いると言えるでしょう(^^)(ちなみに、 「つばめ」は、「ツバキ>ツバメ」の時に生じます(^^))。 「33822」の方も、「22>乙乙>『おとおと』>弟」と読めることが わかり、これはもはや「=裕作」に間違いありません(^^)(朱美−−この名前 は「明けの明星」ですね(^^)−−も響子も裕作を「弟のような存在」と見てい ました(^^)。そしてSamwynにおいては、Mの弟が朱美にとっての裕作的 存在としてかつて在りました#^^;)。「乙」を2つ持つのは「けも先生」、そ してなるほど、Samwynの命式には「甲が2つ」在ります(^^)(「カメ」 は「亀」、その字形から「2つの甲をくくる乙」が、S的正体です(^^;。一方 の「ツル」は「おつう>乙卯」から求めることができ、けも先生の日柱の「乙 卯乙」、Samwynの月柱の「辛卯乙」が範囲に入りますが(その関連性は 「卯乙」の方が、「卯から出てきた乙」で強いと見做せます)、けも先生の日 柱の「卯乙」は「けも先生の配偶者」のことなので、結局「おつう>乙卯=S amwynの月柱元命」に絞られます(^^;。そこで、「Samwynの2つの 甲と結ばれる乙」として、「けも先生=カメ」になっているのです(^^;。「カ メ>噛め>ビット」は、ツルの方が「吊る>Cramp>CLAMP」になっ てしまい、S的には無効です(^^;)。 さて、以上の読みから、サフランの呼応も明らかになります(^^)。「半端」 と「高端」から、「成り損ない」としての「=けも先生」です(^^;(エヴァン ゲリオンの使徒化した三号機もやはり「(人魚への)成り損ない」であり、つ まり、あの凄絶なエピソードはSamwynの小説「生々流転」と呼応してい ます(^^;)。アレクサンドリアの大灯台において、その「光」を調節していた のは「2枚の鏡」であったと私は聞いています(確かな知識とは言えないのが 何ですが(^^;)。「2枚の鏡>鬼舞いの火神=アマテラス」、裏神道では、古 事記の昔、ウズメが「騙し」たためにアマテラスは分裂し、偽のアマテラスが 君臨することになったと囁かれています(^^;。そして、今世紀末、「とどめの 大峠」でのウズメの使命は「真のアマテラスを『甦らせる』こと」だともされ ています(^^;。それは「男神としてのアマテラス」であり、つまり、ウズメが かつて「騙し呼び出した」アマテラスは、「鏡に映ったウズメ自身」であった のです(^^;。要するに、実はアマテラス自身が「鏡」であるがために、まずそ こにウズメ自身の姿が映ってしまい、そこへ向けたウズメの鏡に「取り込まれ た」のはその「アマテラスに映ったウズメ自身」だったのです(^^;(「アマテ ラス」としては、それは「力無き影」に過ぎません(^^;)。 「炎」を抑えるのは「闇」である「水」です。それはその「水面鏡写」にお いて「鏡」であり、いわば「ドン・キホーテの狂える激情を鎮める『在るがま まのおのれ自身の姿への直視』」です。「真空」において炎はその「根拠」を 失い、ただ消滅します。「欲望」という「炎」もまったくに同様、「対象への 巻き込まれ」という「自己の権力の放棄・与え」にその「根拠」を持っていま す。その「おのが巻き込まれつつあるところ」を直視すれば、「対象のうちに 分解・四散していた『真の自己』」言い換えれば「自らが対象に変じてさ迷う 夢:『現実』に被せられた『好き・嫌い』の価値体系・からの逃走」において その「燃え盛る炎」は「酸素:『注目』させる権力の補給」を失い、もはや人 を「支配する」ことはなくなります(^^)。「世界に振り回される」ことがなく なれば、彼はもはや「自身の世界の支配者・皇帝」です。真の意味での「建設 的な日々」はその時に初めて在るでしょう(^^)。 Samwyn